忍者ブログ

ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

予期せぬ別離



レンゲ草のような
薄紅色と白の混じった花色の菊
去年、気に入って連れて帰った。

1本2百円くらいで売られていた 切り花だった。
新芽が出て、2本の苗木が育った。

そのうちの1本は、
以前 同じアパートに住んでいた知人に譲った。

別の苗木2本と共に、彼女の家に持参して、
寄せ植えにして置いてきた。

後日、
「大切な人の誕生日に咲いた」と、
「それぞれ色が違って、きれいだった」と、よろこばれた。

それ以前は、
我が家で(切り花から)菊の新芽や根が出るのは、
ほとんど‥‥私の予想を超えたこと(半分は災難)だった。

ただ、
花の命を出来るだけ延ばしたくて、水を腐らせないように気を付けて、
葉っぱの水没を避けて、水質の向上につとめていたら、

根や新芽が出てきたので、捨てるにしのびなく
(行きがかり上、仕方なく)土や水を遣り、苗木にしてきた。


だけど、
レンゲに似た花色の、その菊だけは、
とても気に入ってしまった。

この菊だけは1本 手元に残して、
ずっと見ていたい‥‥などと思っていた。

私には、
自由に使える庭や、畑や、ベランダなど ないというのに。

窓辺に置けるのは、
せいぜい林檎くらいの 小さな植木鉢だけなのに。
(菊を咲かせるには 狭すぎる)

‥‥‥
冬の間は、
その菊の苗は、平べったいロゼット状だった。

立春の少し前から、どんどん背が伸びて、最近では7~8センチくらいになり、
陽当りの良くない北向きの窓辺でも、葉っぱに勢いがあってきれいに育っていた。

‥‥‥
小雨混じりの風が吹いていた 土曜日の夜、
私がしたことは、
あまりにも 唐突だった。

家の前で、
自転車の手入れをしていた誠実そうな人に、
声をかけて、
その可愛い菊を 託したのだった。
 
手元に置き続ければ、
窮屈な思いをさせることは 明らかだったが、‥‥‥
 
さびしいと思う間もなく、あっという間の出来事だった。
(しでかしたのは私なのだが、菊に動かされたような気が しないでもない)


後には(早急に 手当てを要するものとして)
ミネラルウォーターの ボトルの中で、
5センチ以上の根を 何本も伸ばしている菊が、
4本 控えていた。
  
新芽と根が、
ロケット・ペンシルみたいに 混在(密集)していた為、
なるべく多く生かしたいと 切り分けたら、

緑の部分が、
小指の爪~1円玉くらいの 極小サイズになってしまった。
 
それでも、
冬の間も 根を伸ばして、頑張って生きていた。
(だがしかし、水だけで生きるのは、葉っぱが小さすぎて もう限界みたいだった)

その 4本の菊を、
昨日ようやく、土製のポットに植えた。
(肥料なしの土を選んで:腐葉土と赤土と水だけを入れて)
 
 
 
 
 
PR

そっかー

何日 徹夜が続いたか、分からない。
もう限界だ。
早く眠りたい。
蒸し焼きになりそうに暑いが、そんなことは問題じゃない。

横になったが、
尋常じゃない 子どもの 泣き声がする。
(阿鼻叫喚だ)
南南西100m 以内から。

絞め殺される寸前の ニワトリか?
八ツ裂きにでも されたか?

凄まじい音量(パワー)だ。
最近、連日のように聞こえてくる。
たまらん。

おそらく、意思疎通に困難を伴う子なのだろう。
それは察しがつく。
でも これ以上 我慢したら、私は憤死する。

起き上がって、着替えて、
外に出てみた。

目を赤くした子が、保護者らしい人に抱かれてた。
かわいい。
 
「なぜ、泣いてたの?」

『眠くて』 と、保護者。
…ぐずってるのか。
 
機嫌が悪いところに、
突然、鳥みたいな頭の 知らない奴(私)に 声をかけられ、
不愉快この上ないか? 小さな人。

「そうか、眠いのか」
「私と同じだな」
そう言い置いて、帰って来た。
(言葉が粗いなーー野蛮人の誹りは免れまい)

その後また、泣き声が聞こえたが、
自分と同じ…と思えば、苛立たない。
 
 
  
  
  
  
  
  
  
  
 
 
 

消せないカテゴリー

6月下旬に整形外科に行った。
背骨の歪みと、4箇所の関節の痛みが、
(精神の健康恢復を妨げている、のかもしれない)と、考えてのことだった。

痛みと歪みが軽減されれば、
生きる意欲が増して、死の誘惑を駆逐してくれるかもしれない。
と、少し期待して行ったのだけど。

短い問診と、痛みの確認をして、
たくさんのレントゲン写真を前に、権威者(医者)は 明るい声で曰く、
 
『骨に若干の変形は あるものの、心配すべき問題は ありません』
『長い時間 歩いたり、重い物を持ったリせず、身体の冷えに注意して下さい』

家に帰って、なぞなぞの答え合わせをした。
それは、
この春 発見した「1年前の1月の 断層写真の予約票」の 意味を知ること。

警備員だったときに、
大きな病院に行き、機械に入ったことは覚えている。
でも、何故そんな 精密検査を受ける必要があったのか?
謎だ。

わずか1年前のことだ、思い出してもいいはず。
…と思い、詳細は読まずに、記憶が蘇えるのを待ってみた。

季節が変わっても、まったく思い出せなかった。
詳細を見たら、
今回レントゲンを撮った関節に、丸印があった。

そうだった。
警備業務中(深夜1人で 機器のメンテナンスを終え、カウンターに移動中)
激痛に見舞われ、歩行困難に陥ったのだった。

代りの人員は いないので、朝8時まで1人で耐えた。
8時からは 2人体制になるが、通行者が殺到するので、気は抜けない。

9時に日勤者と交代し、
手荷物検査を受け、身体にミリ波を浴びて(身体透視検査をパスしたら)
地下深い仮眠室にて着替え、弁当箱・洗濯物などを回収する。

複数の 多様な鍵を解除し、地上に戻り、
手荷物検査機と身体透視機に『情報機器の所持なし』と判断されたら、
ロッカー室に行ける。

ロッカーに預けていた 携帯電話や上着、鞄などを回収しても、
そこで 気を抜いては いけない。

ロッカーの扉を 最後に閉めるとき、うっかり 施錠しては ならず、かつ、
コンピュータにアクセスし、ロッカーの 返却手続きを せねばならない。
  
その後 カウンターにて、受付係員に 終業を報告し、
『問題なし』と判断されれば、
身につけていた 館内専用のカードキーを、保管庫に入れて施錠し、
赤外線ゲートを開けてもらい、
やっと退館が許された。

要領のよい方々(私以外の女子全員)は、交代から10分程度で帰っていた。
でも私は、帰り支度に20分はかかった。

更衣室の絨毯に コロコロをかけたり、…
(誰かが落とした御飯粒とか胡麻、クッキー片などを 残して帰るのが嫌だった)
何より(殆ど眠れておらず)疲れていて、
勤務時間外まで、機敏に動く気に ならなかった。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *   
 
このブログは、
心理学の 学び舎で 出会った人を、懐かしく思うときに 訪れよう。

佇まいが美しく、賢く、親切で、
人(学友・師)を 誉れな気持ちに させる人だった。

自分が 設計した ブログではなく 借りものなので、思うにまかせず、
追加した カテゴリーを(間違えて作ったものでも)削除できない
…など、若干の不都合があるが。
  
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *   
 
愛しいものとは何だ?

夜勤明けの駐輪場で、私に呼びかけた(?)セキレイは 愛おしかった。
(別の仕事で深夜に帰るとき、自転車の前に飛んできた オオミズアオも)