忍者ブログ

ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

イタズラ二 傷ツカヌコトヲ 祈ッテル

動機は好意だった(手紙を書こうとしただけの)気がする。
今年の2月に起きたことが、
3年前に起こったことに 似ている と 感じたので、
3年前に遡って、メールの返事を 書き直そうとしただけ だった。

友を傷つけることに なりかねない。
思ったことを伝えたいだけなのだが、既に自分が負傷。(比喩デス)
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この春、林檎の種子が芽吹いた中に、
不運にも、
脱皮に失敗したものが、幾つかあった。

根を出した後の、タネの皮は、
乾燥していて、硬い 繊維質の塊。

本葉が伸びてきているのに、タガ(外皮)が外れず、
オタマジャクシか 音符のような恰好でいたのを、
人(私)の手を使って 脱皮した個体は、
元気ではあるが、本葉2枚が変形している。※
 
8割方 脱皮に成功しながら、外皮の 繊維質が裂けて、
その一部が ベルト状に 双葉の上に残り、
結束された双葉が、瓢箪のように クビレてしまった個体は、
人の手を使って 脱皮した後は、
何事も なかった かのように、元気に育っている。

根の先を 切断されるという アクシデントに遭い、ハンディを負い、
1番 成長の遅い個体は、
(脱皮が遅いのも 仕方がない)と、人が、手を出すのを 控えていたら、
半分 脱げた外皮に 潰されて、双葉が傷ついてしまった。
人の手を使って 脱皮した今は、本葉が育ちつつある。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  
悩みを解くのを サポートする仕事は、
林檎の脱皮を手伝うことに、似ているような気がした。

昔『あの フォーチュン・テラー(占い師)を、助けてほしい』と、
言われたことがある自分は、カウンセリングとは何なのか、ずっと考えてた。

悩みも、解決も、当人が主体で、
それをサポートできるのは、当事者の力を 信じて疑わない人だけ。
それ以上のことは、想像でしかないが。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

林檎の生命力を信じている、
でも、もしかしたら、致命傷を負わせてしまうかも…
息を詰めて、タイミングをはかっての真剣勝負。
(人間(私)の 爪くらいの 硬度をもつ、クリップと化した【殻】を外す瞬間)
 
※ この春、オタマジャクシ みたいだった 林檎の芽
双葉の片側が、殻の中から出せず、半分 千切れてしまった。
私の失態だ。(2枚の双葉が、1.5枚になってしまった)
幸い 本葉が育っていたので、致命傷には ならなかったが。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あなたの命が そこに あるだけで、
誰かを 勇気づけているかもしれない。
 
わずか 直径3ミリの花(ハナイバナ)が、散り際に発した
笑いのような空気で、人(私)は 元気づけられたことがある。

「あなたが存在していることこそが、貴重なのです」と、
実感していない人(カウンセラー先生)の 発する言葉は、
対人支援の現場において、説得力を持たないような気がする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
業界が認める資格がないと、就職先がない と思い込ませ、
本来の第1目的(具体的に 助けたい人がいたはず)と、職業キャリアの設計を、
ゴッチャ混ぜにさせたのは、誰なのか?

友よ、私の目には、あなたが被害者に見えるけど、
3年前より、あなたの しなやかさやが増していて、
傷つかないで良いことに、あなたが もう傷つかなくなっていて、
何も持たなくても 人は尊いと、あなたが確信しているなら、
私の目が 曇っているだけ でしょうから、笑って許されたし。
 
 
ゼロからイチを生みだす:植松努さんの お話
 





 
 
 
 
PR

昔の自分に会ったら、こう言うね

「本物の教科書は1冊しかない、それは患者だ」という言葉を胸に刻んで、
身体はトラウマを記録する  脳・心・体のつながりと回復のための手法
 という本を著した人のような 治療家に会いに行け!

 それと、出来れば、
 新田一郎先生のLP「クールが熱い」は、売るな(手放すな)! 
 ★ ピアニシモのように  新田一郎さん
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  

波宝・星宝は 海へ

インターネット上で、拝見した呟き(ツイート?)
それによると、そのお芝居には…

『ヨブ記 と 依存症の人のウェブ日記から、言葉を引用している』
 といった感じの注釈が、添えられていたのですか?
 
ブログの プロフィール欄に、
『依存症者の日記です』とでも 書いてあるなら兎も角。
書いておりませんが 私は、そんな 虚偽の自己紹介文。

兄弟に【アルコール依存症】者はいるけど。
血族の中には【問題行動を起こす人間に依存】してる者もいるけど。

自分が 医師から、
依存症という診断を下されたことは、1度も無いぞ。
 
自分を情けなく思う余り 日記の中で(記事に)、
オカルト依存だとか、破壊行為の依存者などと…
誇張というか 比喩として、綴った(腐した)ことはありますがね。 
 
身内のアル中による 暴言や、異常な行動の的となり、
苦しい思いをしたので、

アルコール依存症という病気について 学ぶために……
当事者の会(断酒会)や 家族会に通ったことはある。
 
多くの先輩方から 学ぶ機会を得たお陰で、自分は、
(家族全員が 依存症者に巻き込まれて、被害者モードになったときも)
ダメージが 深刻にならなかった。
 
身も蓋もない言い方をすれば、
周囲に、中毒者や、被害者意識の強い人が、既に(数多)いて、
気づいたときにはもう、私が坐れる
被害者(依存症者)の 椅子(空席)は、残ってなかった。

だから 歩きまわり、学ぶしか無かった。
ただ 知識を得ようと奮闘しても、悲しいかな…
手当たり次第の 力任せで、効率が悪く、秩序づけが追いつかず、
頭が冴えないままだけど。

酒・煙草などの 嗜好品や薬物とは、
縁のない暮らし。

依存症者の餌食になってしまうことは あるが、
それは、

相手の病を利用して、
自分が 優越感や 賞賛を得たいからじゃなく…
『共依存』状態を『快』と感じてのことではなく。

ただただ、逃げる気力・体力が 足りない。
無理やり 付き合わされているときは、いつも 心の中で悪態ついている。
(時間ドロボーーー だーー もーー いい加減に してくれぇぇぇ…)
(時間ゴートー!時間ゴートー!時間ゴートー!時間ゴートー!)

私が 長く苦しんでいる病は、
裁判の出廷も ままならなかった私の病(診断書を 提出済み)は、
依存症じゃなくて「心的外傷後ストレス障害」

  
たとえ医師でも、
会ったことがない人間の病は、診断できないはず。

見も知らぬ私に、勝手な病名を付けたのは 誰ですか?
匿名のブログなので(傷付けても、名誉毀損には ならないから)
…脚色してもいいと 思われましたか?
…取材対象が 誤解されるような情報を 付け足すのは、まずいと思いますが?
 
( モウ コノ Weblog 、潮時ナノカナ? )
(  Delete スルノガ  最善ナノカナ? ) 
    
体調が悪くなった上に、道に迷ってしまって、
劇場に辿り着いた時には 幕が下りていたのも、

天の配剤だったのですね。
誤解された私の分身が、生身の自分を 傷つけぬように 守ったらしい。
  
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
   
言葉って、神聖な器でしょう?
魂が宿るような瞬間 あるでしょう?
  
他人の判断も賛同もいらないね。
言葉は神聖なものです 私にとっては、とても。  
 
モク拾いは海へ 小椋桂さん
野ざらしの駐車場 小椋佳さん

 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 

わからないのか、それは私じゃ無い

甲斐よしひろさんの スウィート・スムース・ステイトメント
このシングルCDを買った頃、私は今の半分くらいの歳で、

この歌のような恋愛は、この世には ない気がしてた。
世界のどこかにあったとしても、自分の身には無縁だと思った。
それでも惹かれて よく聴いていた。

たとえば私が男で、
この歌の主人公のように、誰かに強く恋い焦がれたとしても、
その愛を失ったら 生きられないと思ったとしても、…

恋が成就しなくても、
人は生きていかなきゃならない。

奇蹟的に相思相愛になれたとしても、
相手が早逝するかもしれず、それでも生きていかなきゃならない。

こんな恋は 幻だと、
こんな恋は ある訳がないと、
皮肉に笑いながら

「自分は そのくらいのことは知ってる」と、
「自分は その程度の覚悟は ある大人」になったつもりで、
「誰かのものと言えるほどの愛は、神の愛か?」と、ぼんやり思った。

旧約聖書のヨブ記
その解説書を 私が昔 愛した訳も、この歌への思いに近い。

どう考えても、自分はヨブじゃない。
清くも正しくもないし、豊かでもないし、家族も…

でも、もしかしたら将来は、
恵まれた生活を 送れるようになるかもしれない。
ヨブ記を学んでいれば、その 万一の時に 役に立つはずだと。

だから ヨブ記を下敷きにした物語を読んで、
中心人物と自分が 重なって見えたことに 愕然とした
(とうとう発狂してしまったのかーーと)

ヨブ記の義人は、私のような人間のことじゃない!
書いた貴方は、お分かりですよね。

ヨブに近いのは、 
貴方だと。

問われているのは、
持っている人(特技や教養がある、目的を共有し協働する仲間がいる人)だと。


 
★ 甲斐よしひろさんの スウィート・スムース・ステイトメント 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

推敲されたし

場末の脱法風俗店で、
そうとは知らずに、無知な私が 電話番をしていた頃、

プロの お姐さんが言っていた。
お客(男)は『1本、2本、…』と 数えると。

情が移るのを嫌ってか、お客を物のように数えて、
淡々と『昨日は、何本捌いた』云々、
 
怪談「番町皿屋敷」の「菊」が、
因縁の皿を「1枚、2枚、…」と 数え続けたような
 
怨嗟の数え歌が、
いたるところで聞こえないか?

夜鷹(非合法の売春婦)が「1本、2本、…」
低賃金パート労働者が「1円、2円、…」
インターネット・ライターが「1ポイント、2ポイント、…」
 
 
 
社会的に上位に位置する人には、
義務と責任がある。それは、
 
恵まれた環境や 精神的な余裕をもって 身につけた、
才能や技術を 発揮して、
社会制度が陳腐化しないようにすることや、
人間が「種」として、自然界から淘汰されないようにすること。

それは、悲惨な結果を招きたくなければ、
おのずと培われるだろう 良識。

フランス語の「noblesse oblige」
和製(カタカナ)フランス語で「ノーブレス・オブリージュ」
和製(カタカナ)英語だと「ノブレス ・オブリッジ」

ハムラビ法典のレリーフも、そのことを言っている
「福祉を行うものが王」だと。

身分にふさわしく振る舞えぬ者が、
権力者や権威者の地位に就くことへの戒めだ。

美意識の欠如が、
自然界に対する忘恩が、

ハンムラビ王の時代よりも奴隷を増やし、
不穏な数え歌を蔓延させたように、私には見える。 
 


表現者で世に出られるのは、稀有な人だ。
(私の認識では、社会的に影響力のある人)
本人の努力と才能があってのことだろう、が、

夢と希望と才能があって、長い年月 努力を重ねても、
その分野では報われる兆しがない、
誰かを魅了する機会を得ることなく終わりそうな人もいる。

そういう人の方が、圧倒的に多いのだから、
世に出る(人気者・売れっ子)表現者は、現代の貴族のようなもの。
そんな話、誰にも聞いたことないけど、私はそう思う。 

 
 
公共のメディアには 出さない
限られた舞台(箱の中)だけで 披露される物語であれば、
自分は見たくないような グロテスクな作品でも、私は否定しない。

大人だけの娯楽には、毒があっても良いと思うからだ。
それで憂さ晴らしができれば、社会は健全になるかもしれない。

だけど、本にして売ることも 想定しているなら、
子どもの朗読にも、たえられるものでないと 困る。


 
昔  夢の遊眠社が評判になって、文庫で戯曲集が出たとき、
何冊か買った。

下品な言葉もあった(後年、それが伊藤蘭のセリフと知り、仰天した)
けど、鬱屈した私が読んでも、爽快だった。
だから、繰り返し読んだ。

戯曲集として売り出されれば、そういうことが起こる。
屈折した若者が 何度も読んで、生きる糧にする可能性が あるということです。
 
そういうものである以上、

難解な独り言をいうのが、
セルフ・ネグレクト(社会問題に直結している病)の様相を呈する人物とか、

笑いの対象となっている売笑婦が、
神々しささえ見せて終幕とか、(※)
 
そういうのは 容認できません。
嘆きの数え歌を、これ以上 流行らせたくないからです。

弱者が 自分を 笑うのは、
生き抜くための戦略(喜劇)だけど、

第三者が 他者の窮状を 笑ったり、適当に利用するようなことが もしあれば、
それは「心の世界」では、「人に生まれたことが嫌になるような惨事」です。
  
もし 私に子どもがいたら、
その子が読んで 笑えるでしょうか?
 
笑えないでしょう。
惨事だと、感じる側に いるのだから。
 


※ 人身売買の商品が お姫様だった時代も、日本には 確かに あった。
※ そういう仕組みが、大昔の日本には あったからだけど、今はない。