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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

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推敲されたし

場末の脱法風俗店で、
そうとは知らずに、無知な私が 電話番をしていた頃、

プロの お姐さんが言っていた。
お客(男)は『1本、2本、…』と 数えると。

情が移るのを嫌ってか、お客を物のように数えて、
淡々と『昨日は、何本捌いた』云々、
 
怪談「番町皿屋敷」の「菊」が、
因縁の皿を「1枚、2枚、…」と 数え続けたような
 
怨嗟の数え歌が、
いたるところで聞こえないか?

夜鷹(非合法の売春婦)が「1本、2本、…」
低賃金パート労働者が「1円、2円、…」
インターネット・ライターが「1ポイント、2ポイント、…」
 
 
 
社会的に上位に位置する人には、
義務と責任がある。それは、
 
恵まれた環境や 精神的な余裕をもって 身につけた、
才能や技術を 発揮して、
社会制度が陳腐化しないようにすることや、
人間が「種」として、自然界から淘汰されないようにすること。

それは、悲惨な結果を招きたくなければ、
おのずと培われるだろう 良識。

フランス語の「noblesse oblige」
和製(カタカナ)フランス語で「ノーブレス・オブリージュ」
和製(カタカナ)英語だと「ノブレス ・オブリッジ」

ハムラビ法典のレリーフも、そのことを言っている
「福祉を行うものが王」だと。

身分にふさわしく振る舞えぬ者が、
権力者や権威者の地位に就くことへの戒めだ。

美意識の欠如が、
自然界に対する忘恩が、

ハンムラビ王の時代よりも奴隷を増やし、
不穏な数え歌を蔓延させたように、私には見える。 
 


表現者で世に出られるのは、稀有な人だ。
(私の認識では、社会的に影響力のある人)
本人の努力と才能があってのことだろう、が、

夢と希望と才能があって、長い年月 努力を重ねても、
その分野では報われる兆しがない、
誰かを魅了する機会を得ることなく終わりそうな人もいる。

そういう人の方が、圧倒的に多いのだから、
世に出る(人気者・売れっ子)表現者は、現代の貴族のようなもの。
そんな話、誰にも聞いたことないけど、私はそう思う。 

 
 
公共のメディアには 出さない
限られた舞台(箱の中)だけで 披露される物語であれば、
自分は見たくないような グロテスクな作品でも、私は否定しない。

大人だけの娯楽には、毒があっても良いと思うからだ。
それで憂さ晴らしができれば、社会は健全になるかもしれない。

だけど、本にして売ることも 想定しているなら、
子どもの朗読にも、たえられるものでないと 困る。


 
昔  夢の遊眠社が評判になって、文庫で戯曲集が出たとき、
何冊か買った。

下品な言葉もあった(後年、それが伊藤蘭のセリフと知り、仰天した)
けど、鬱屈した私が読んでも、爽快だった。
だから、繰り返し読んだ。

戯曲集として売り出されれば、そういうことが起こる。
屈折した若者が 何度も読んで、生きる糧にする可能性が あるということです。
 
そういうものである以上、

難解な独り言をいうのが、
セルフ・ネグレクト(社会問題に直結している病)の様相を呈する人物とか、

笑いの対象となっている売笑婦が、
神々しささえ見せて終幕とか、(※)
 
そういうのは 容認できません。
嘆きの数え歌を、これ以上 流行らせたくないからです。

弱者が 自分を 笑うのは、
生き抜くための戦略(喜劇)だけど、

第三者が 他者の窮状を 笑ったり、適当に利用するようなことが もしあれば、
それは「心の世界」では、「人に生まれたことが嫌になるような惨事」です。
  
もし 私に子どもがいたら、
その子が読んで 笑えるでしょうか?
 
笑えないでしょう。
惨事だと、感じる側に いるのだから。
 


※ 人身売買の商品が お姫様だった時代も、日本には 確かに あった。
※ そういう仕組みが、大昔の日本には あったからだけど、今はない。
 
 
 
     
     
     
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人権はどこに?

こんなメールをもらった。

> イヤよイヤよも好きのうち。で片付けられてしまうのは何故?
> 刑法は100年ほぼ変わっていないけど、人の意識はどうだろ?
> オンライアンケートです!
> 結果は11/12(土) キックオフイベントで発表されます!

> ご協力お願いします。
> アンケート リンクへ  

> ◆◆ここがヘンだよ日本の刑法性犯罪◆◆


9月に、福澤諭吉が作った大学で集団凌辱事件があった。
5月には、日本1有名な国立大学で集団凌辱事件があった。

吉田寿治さん の夢語りを信じたい 私にしてみれば、
大学で人権蹂躙が横行していることなど、考えたくもない。

でも大人だったら、考えない訳にいかない。
(腐っても中学の教諭免許 取った身、無関心ではいられない)
 
日本の有名大学では、
『学生』であることを餌にした、 釣りが流行っているらしい。

悪魔に魂を売ったような者が、堂々と(猫を被って)
学生の身分を得て、学問以外の快楽を追求しているようだ。

「自分に才能が与えられてるのは、誰かと補いあうため」という
天与の命の意味も知らない、勘違い坊や(犯罪者予備軍)は、
 
良い大学に入れたことを、あたかも、
=自分の努力で得た報酬
=自分の特権
=自分より下に見える者を 踏みにじれる免罪符、のように考えて、

楽しまないと損と ばかりに、女狩りサークルの活動に精を出す。
睡眠薬や、ピルや、テキーラなどを小道具に(隠して)使ったり、
性に奔放で、狡猾で、演技の達者な女を 仲間にして、
(同性の先輩が、疑似餌や 撒き餌になって)油断させたり。
 
女の子をタイプ分けして、
タイプごとの釣り方や、犯行の方法を計画している。
格下の女子大の新入生に対しても、触手を伸ばしている。
それを集団でやっている。

そんな犯罪集団が大学に巣食っていても、
言語道断なことに、自己責任論で片付けるOBもいる。

騙された側が 軽率だったかのように。
高学歴の男に対して、女に下心があったかのように、
それが遠因だったかのように、言ったりする。

こんな日本に 誰がした?
(誰かが意図しなければ、ここまで堕ちてないっつーの!)
  

   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

水底で眠りたいですか?

琵琶湖の下には、
古代の遺物でありながら、
現代のコンピュータと まったく同じ物が 埋まっていた。

そう語ったのは、発明家の政木和三氏(故人)だ。
物的証拠を重んずる科学者の言葉であって、私の妄想ではない。

コンピュータを操る程の文明が 古代にあったが、
歴史にも残らぬほど 無残に滅びた らしい。
何故?

傲慢という病が、
その世界を蝕んだのでは…ないか?

例えば、
遅い者、弱い者、傷んだ者を、障害と見なすような、迂闊さが常識化し、
金銭に換算不可能なものを全部、ムダで有害なものとして、
切り捨てたり、排除することに 歯止めが効かなくなり、天に見放され、
自滅の道を辿ったのではないか?

  

今年3月、診断書を提出するように、弁護士先生に言われた。
1年も裁判を停滞させている あなたの不調は、
重度のPTSDが原因であろうからと。

市の福祉課のケースワーカーに相談した。
(私には主治医がいなかったので)
 
大きな精神科の病院を紹介された。その際、
『PTSDの場合、初診で診断書を書く医師はいないはずです』と断言され、
『何度か通院が必要になることを、承知の上で行ってください』と言われ、
不愉快きわまりなかったが、
(複数の医師に暴言を吐かれるなどして、PTSDが悪化した経緯がある)
背に腹は代えられない。
 
病院では、医師の診察前にケースワーカーの聞き取り調査があった。
熱心に聞かれたので、真剣に答えたら、データ量が膨大になってしまった。
ふと(医師に理解されるだろうか?)と、不安がよぎった。
杞憂であることを願ったが、嫌な予感が当たってしまった。

呼ばれて診察室に入ったら、医師が資料を睨んでいた。
私を見上げた目が、不審者を見るように冷たい。

幾つかの質問をされたが、そのどれもが、
聞き取り調査の結果(データ)とズレていた。
(圧迫面接か?)と 嫌な気分になった私に、医師は言った。

『ここは3分診療の病院、薬が効く人だけを対象にした病院です』
『あなたにして上げられることは、何もありません』
『PTSDの治療、カウンセリングを行っている病院に行って下さい』
『専門外の病気について、診断書を書くことはできません』

え?
あなた(ドクター)は、薬屋の番頭だったのですか?

私は食い下がった。
「せめて、リファー(専門機関への橋渡し)を お願いできませんか?」

医師は胸を張って言った。 
『専門外の病院のことは分かりません。だから紹介はできません』

途方に暮れかけたが、
親切に問診してくれた ケースワーカーさんに相談したところ、
条件に合った 病院のデータを出してくれた。
(それは 家から遠い病院だったが、初診で診断書を出してくれた)

この件では 2人のケースワーカーと、2人の医師に お世話になった。
うち2人は親切で、仕事らしい仕事をしてくれた。

もう2人は、
『福祉の役人』または『治療の権威者』然として、誇らし気でありながら、
嘘吐きだったり、優生学思想 丸出しだった。
疲れ果ててる者の心に 更なる負荷をかけ、迷わせた。
(私が打たれ弱い人なら、自殺してるよ)

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

5~6月は、
インターネットの仕事をすすめてくれる人がいたので、ちょっと調べた。
(元気なら片手間でできたかもしれないが、私は とても疲れた)
(惨憺たる現実を見た)

ネットで莫大な利益を上げているという『成功者』が 醜悪だった。
こんなことを言って、情報弱者を 煽っていた。

> 自己責任をとらず、弱者の権利を振りかざし
> お客様気分でいる人は、この先 落ちぶれていくだけ
> 確実に元がとれる30万、50万の商材を買わない意味がわからない
> 素直にやるべきことをやるだけで儲かるのに
> なぜ私たちの仲間に加わらないのか

『権利を振りかざす弱者』とは 何だ?
(本当に弱ってる人間に、そんな余裕や 気力はない)

> 大衆に迎合すると、人気が集まる
> だから政治家は、他者に責任を押しつける弱者を甘やかし、
> 弱者・大衆は調子に乗って、福祉を充実させろなどと主張する
> 甘い
> 世間はアナタの親じゃない、この世は不平等
> 何が起きても自己責任
> 自己責任をとらない人に、成長はなく、成功できるはずがない

そんなことを(自分は億万長者だから)と 自信たっぷりに言うが、
『お客さんでいてはダメだ』という彼こそが、
他人の提供してくれる サービスや、物に依存する お客さんでしょうに?

時間給の労働者を見下している。
実際に価値ある物を作っている人や、
身体を動かしてサービスを提供する人たちが 置かれている、
過酷な状況には、無関心。

『豊かに暮らしたければ、ネットビジネスを始めればいい』と言うだけ。
世界中の人間が、100% ネット(ビジネス)に 依存したらどうなるか?
全然 考えてないみたいだ。
 
劣悪な環境下で、誰かが 命を削るようにして作った物( や、サービス )を
右から左に動かすだけで、
( 宣伝 広告が、鵜飼の鵜のように働く システムを 構築することで )
大きな利益を得て、
自分と 身内と 利害関係者だけが、幸福に暮らせれば 良いという態度。

そんな人( Noblesse Oblige を 解さない )が、億万長者だと威張れる社会。
…病んでいる、と 思わずにいられない。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

7月上旬、メンタルコーチなる人を紹介された。
あまり期待せず、挨拶のメールを送った。
忘れた頃に、だいたい予想していた通りの 返信があった。

保身をはかるために(私が近づかないように)私を傷つける内容だった。
言葉が丁寧なほど、優生学思想が際立って見える。

> 私は病理には対応していません。
> 紹介できる専門家もいません。
> ごめんなさい。

医者でもない人が、
病理と診断できるのですか?

挨拶のメールに添えた 私の言葉で、
その人に 異常(病理)と指摘されたのは、

10代の頃、最初に行った精神病院で、医師に、
『泣いてるだけじゃ何も分からない。帰れ!』 と 怒鳴られたことと、
現在、猛烈に感情を抑えていることの 2点。

私のように頼れる身内もなく、心身ともに疲れて、負債を抱えてしまい、
空調機もない 隙間だらけのボロアパートで、連日 毒入り空気に晒されて、
それでも 感情を抑圧せずに いられる人間が、何処にいるというのですか?
(病理とは、よく言うよ)

長期間にわたって暴力を受け続け、逃げ場の無かった子どもが、
(ここでやっと助けてもらえるかもしれない)と 思い、緊張が途切れて、
泣きじゃくることしか できなかったのが、病理ですか?
(そういう子どもを 怒鳴って追い返す医者の方が、狂っているのでは?)

肩書に『メンタル』を掲げた人が、保身に走り 人を傷つける。
いいのかな?
そんなことして。

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物的証拠を尊重した高名な発明家は、
苦しむ私に、悪意をもって罵声を浴びせた人でもあった。

権威者が、
助けを必要とする人間を、『専門外だから』 と 死角に追いやって、
自分と 身内と 利害関係者だけを守ろうとするとき、
その社会は 破滅への道を進んでいる、そんな気がしてならない。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

私は、すべての責任を 自分で引き受けようとして、
落武者の亡霊のようになってしまった。

耐えてきたのは、
まだ知らない大切な人を守りたかったからだ。

小泉八雲の『耳なし芳一』
あれに出てくる平家の怨霊 = 私だ。

善人だけを相手にしてきた、力の弱い僧侶などに 用はない。
暗唱するだけの呪文(経文)で、鎮まる悪霊などいない。
 
邪気のない盲目の法師(芳一)の語りと、
彼の奏でる琵琶の音には、鎮痛効果があった。
死霊たちは、感謝したはずだ。
でも悪霊だから、暴力行為に及んでしまった。
 
大切な人の 耳を千切るなどという真似を、私はしたくない。
だけど、怒りを抱えたまま、身近な人に うっかり甘えて、
相手に 危害を加えずに済ます 自信が 私にはない。
だから、浄化と鎮魂(治療)を願った。

私の試みを笑い、
私を排除して、厄介払いできた気になっている権威者たち。
哀れなり。

私と、
私が健康であれば 出会えた筈の、私の伴侶( + 子ども? )

少なくとも 2人分の 悲しみの 海の底に、
いつか 自分が 沈むかもしれないことを、 
想像もできないとは。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
        
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