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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

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忘却の水底に沈め

三島由紀夫先生の「小説家の休暇」の中の、
太宰治先生に対する文言は、長らく私の生きる指針だった。
それは、

【私とて、作家にとっては、】
【弱点だけが最大の強みになることぐらい知っている。】
【しかし弱点をそのまま強みへもってゆこうとする操作は、】
【私には自己欺瞞に思われる。】

【どうにもならない自分を信じるということは、】
【あらゆる点で、人間として僭越なことだ。】
【ましてそれを人に押しつけるにいたっては!】

【太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、】
【冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。】
【生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。】

【いささか逆説を弄すると、】
【治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。】

作家じゃなくても、
己を律し、なるべく人に甘えず、他人の時間を奪ったりせず、
必要もないのに専門家の手を煩わせたりもしない、
ほんとうの大人に なりたい。

そう強く心に決めたのだけど、
太宰治先生ゆかりの地に住んで、彼の魅力を認めざるを得なくなり、
私は 軟派になったかもしれない。

カニ嫌いで、こと蟹に関しては、文壇のある人から、
『彼の心理的な遊戯には 付き合いきれない』などと言われていた
三島由紀夫先生のことも、やっぱり好きだけど。

【どうにもならない自分を信じるということは、】
【あらゆる点で、人間として僭越なことだ。】
【ましてそれを人に押しつけるにいたっては!】

この言葉は、忘れられない。
人に甘え 依存するのは、恥ずかしいだけじゃなくて、
他人の人生をブチ壊す越権行為だと、教えられたようで。

だから私は、
器械体操の代わりに、ヨガ(オカルト)に手を出したりした。
生活で(独力で)改善できない精神(脳?)の病については、
専門家に対価を払って、助力を頼んだ。

大枚を叩いたのは、
身近な人に 迷惑をかけたくなかったから。

私が、ここに名前を挙げて、恨みを書こうと思ったのは、
書く(吐き出す)ことで、不快な記憶を捨て去りたいからと、

もうひとつの理由として、
私が迷惑をかけた人に対して、言い訳をしたいから。

私は、何の努力もせずに 図々しく、
貴方がたの時間を盗み、心を煩わせたのではありません!

貴方がたの時間を奪ったり、心身を害したくなかったので、
自分で 出来るだけの 努力や工夫をしましたし、
それが難しいと分かってからは、治療者をさがしました!
そのために、相当な お金も 遣いました。

これは事実です。
本当の時間泥棒は、私では ないと思います。

病んだ私から 大金を奪取し、病をこじらせて野に放った。
彼等こそが、真の恥知らずの 時間泥棒では ないでしょうか?

ただ、傲慢不遜な『医師』たちの名は、殆ど忘れてしまいました。
権威者を尊敬したい気持ちが、私の中に強くあり、
醜悪な現実を、受け入れられなかったのかも しれません。

以下に挙げるのは、
本当は『未熟で脆弱』な 先生でありながら、
巧みな宣伝文句で 私から大金を巻き上げ、天に唾した方々です。

治療者や、カウンセラーを目指す方には、
反面教師にして戴きたく思います。

S本K子氏(臨床心理士)は、私に対して、
殺人者の餌食となるように、指示なさいました。

H部K雄氏(臨床心理士)は、私に対して、
自分に会うのが遅すぎたと、不治の宣告をなさいました。

U井T子氏(臨床心理士)は、私に対して、両親の存命中は、
能力を発揮したり、世間に認められることはないと、断言なさいました。

この方々は、
書籍を著わし、後進の指導にも あたってきた方々です。
彼等の働きにより、たくさんの人が 救われたかもしれません。

しかし、彼等が私に発した言葉は、尋常じゃなかった。
到底、許せるものではありません。

自己責任にこだわる余り、
彼等を許そうとしてきたことが、私の敗因かと。
(いわゆる PTSDを、悪化させた要因ではないか、と思う)








 

 

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泪の理由

先週末、唐突に嗚咽が込み上げてきた。
何故、泣くほど悲しいのか?
判然としなくて、そのときは苦笑した。

今日になって、やっと思い当たった。
先週の月曜日に【EXCELSIOR】のアコーディオンを手放してしまったのだ。

譲り受けたものの、必要な修理ができないまま、
何年も しまい込んでいて、使ってやれず 可哀想で。…

その上、ここ何年も 受け取るだけで 読まずにいた、
ライブハウスからの案内状に、ラインマーカーで印をつけていた。

偶数月の上旬に、
記念切手が貼られたカードが、ライブハウスから届く。
心がこもっているカードなので、応えられない おのれが恥ずかしかった。

12月8日15時~ ……
経済状態、時間的余裕などを考えたら(今のままなら)まず行けない。

でも、行きたいんだよ。
もぉぉぉ 何年も我慢してんだよ。
いつまで我慢すりゃ良いんだよ。

結局 行けないとしても、
何かしら 先の楽しみがなきゃー、つまらなすぎる。
ということで、印をつけた。

「アコーディオン」を 手放した悲しみとか、
「ライブハウス」を 月より 遠くに感じる悲しみとか、
そんなことで泣くとは。
子どもかよ?

子どもの時分に 子どもらしい遊びができなくて、
心の成長が止まってしまったの(凍結)を、
解凍してるのだから、
戸籍上の年齢など知ったことか!

嫌というほど悲しんでやる。
(気が済むまで)

松山行きフェリー
ボイストレーニングに通ってたときに、課題曲にさせてもらってた。

傘は おいてませんか
私は、大きな コウモリ傘に なりたかった。
人の世に、父性の不足を感じてたから。
世の中に足りないもの(男らしい大人)に、なれるなら なりたかった。

ファムレウタ
最初に聴いたとき、意味が分からなかったのに、泪が出た。
あら ゆきと さん の 歌と、三線(さんしん)?

悲しみの岸辺
浜田省吾の「NEW YEAR'S EVE」を唄うと、友人のKさんは必ず泣く。
心の傷に沁みる らしい。
なのに彼女は、いつも その歌を聴きたがった。
(何故?)
私は私で、酒場で ジュークボックスのように歌い続けていたとき、
選曲が面倒になると、いつも「悲しみの岸辺」を唄ってた。
(昔のこと)

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


        
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