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異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~
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映画女優のような美貌のKさんは、
さだまさしと洋楽が好き。
泥臭い演歌が大嫌いで、
(最近は一緒に唄う機会もないが)
私がそーゆー歌を選曲して、その世界に酔い痴れようものなら、
『止めなさいよ!』
『品がないッ!』などと、ギャーギャー言う。
容姿端麗な人に激しく否定されると、
自分がゴキブリにでもなったように感じ、おかしかった。
私は心が破れ綻びているので、
ゾッとする虫(ゴキブリ)よりも、自分が苦手。
だから好きな人に『私たちは似てる気がする』と言われたとき、
ちょっとうれしかったけど、
肯定する訳にはいかない。
私に似ているのは、
自分が苦手とする人や、嫌いな人でないと、
私の(狂いのある)頭の中で、辻褄が合わない。
ホマレさんと出会う前は、自分に似た人
=かなしい人
=見ちゃいられない人
=お互いに弾きあうだけの人…でしかなかった。
いろいろな場所に、身を置く機会があった。
自分にとって良好とは言えない環境でも、適応しようとしてきた。
疲れて、訳が分からなくなりながらも、
(出来れば曇りのない鏡でありたい)と思ってた。
ホマレさんは、
その鏡を見てくれたのじゃないか?
今の私には、そうとしか考えられない。
寂しさを感じる神経は、
私の場合、麻痺してて機能しない。
初期設定が孤独だったから?
孤独なのが当たり前だったから?
滑舌を良くするために、
舌の裏の神経を切る人がいるけど、
そんなふーに(寂しいと感じる)神経を、
切除した(努力して断った)覚えは、私にはない。
本当に寒い所では震えず、
少し温まってから、ガタガタ震え出す私のことだから。
(感覚に時差があるというか…)
真に孤独のさなかにあっては、それを自覚できず、
もう少し、人間に生まれたことを、温かく思えるようになったとき、
寂しさを感知するのか?
しないのか?
AXIA
ナイアガラ・フォールズ
ポンコツ君とガラクタ君
野ざらしの駐車場