忍者ブログ

ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

人工知能も愛を指向してる?

昨年の今頃、私は弱っていて
代替医療の施術中に吐いて汚れたシャツを洗うことも出来ぬまま、
大きな器に入れた浸水中の米粒(3~4合)を床にぶちまけてしまい、

米(玄米)をくれた人を軽く恨みながら、掃除してた。
(米を粗末にしちゃいけないんだよ)
(こんなに傷むまで死蔵されてて、米が怒ってる感じ)

黒くなってしまった米粒と、まだ平気そうな米粒を選り分けるのには、
膨大な時間もかかり、感謝以上に怒りが湧いたりもしていた。

なぜそんなことを書けるか?
代替医療中に吐瀉した後、数日間
白湯を飲むこともできなくなり、死を覚悟し、

(治療が合ってないのかも)
(このまま死んだら悔しい)
そう思って、紙切れに遺書ならぬメモ書きを記して、
事務用の茶封筒に「備忘録」と書いた中に入れておいたから。

私はその治療者を信じてた。
治療者に本領発揮してもらいたい、と敬意を払い、
私の問題解決(呪いと化したトラウマの解消)に、
そのプロの技を見せて戴きたいと、切に願った。

だけど、その治療者は、私に断わりなく
施術中に私を心理的に誘導し、rapeの場面を再現させるという
大きな間違いをやった。

それは、必要のないことだった。
治療者の焦りだった気がする。

『自分は性的犯罪被害者のケアで実績がある』からと、油断し、
『早く効果を出すためには荒療治も必要』とでも思ったのだろう。

私は傷つき、自殺防止ブロブに、
こんなの second rape だと書いた。

それでも気を遣って、代替医療の内容などには触れず、
臨床心理士とのトラブルと書いた。

現実の世界では、
海に向かって叫ぶチャンスがないし、弱音も吐けないから、
仮想空間の海に叫んだ。

それを読んだ治療者が、気分を害したとメールを寄越した。
こっちは、その代替医療にかけて、啓発のためにカテゴリーまで設けた。
治療記録をウェブ上に残すことは、治療者も了解済みだった。

必ず完治すると信じている。
勝利の美酒を、治療者と クライアント(私)で味わう未来を信じてる。
そんな趣旨の返信を、私はしたと思う。

でも、信頼関係は揺らいでた。
治療当日は食欲もなく、青汁だけを飲んで行った。

胃には大麦若葉のエキスしか入っていなかったのに、
治療中、ベットの上で私は吐いた。

トイレに行こうとしたが間に合わず、治療室で吐き、
廊下でも大量に吐き(緑の液体を)トイレでも大いに吐いた(胆汁?)

いろいろ汚してしまい、申し訳なく思った。
シャツの内側が緑に染まっていたのは、帰宅後に知った。

今から思うと、
吐いたのが、分岐点だったように思う。

その後、鎮魂がテーマに上がる。
 『やりましょう、次回』そんな話をして、双方が合意した筈なのに、
その日が来ると、その課題には触れない。
そんなことが重なった。

まるで『やるやる詐欺』だ。
信じていた私は、やがて そう思うようになった。

治療家は、
『あなたのブログから陰気な波動が出てる』と言い出す始末。
交渉断絶に至った。

治療家を勘違いさせる顛末を、私の病(闇)が 招き寄せたのか?
恥じたし、かなしかった。


ブログが本当に陰気になってたら嫌だな。…
そう思い、精神世界の権威(秋山眞人さん)を訪ねた。

「ブログから変な波動など出ていない」と言ってもらえた。
その面談には、2万円を要した。
 
治療家との決別を機に、私は、
このブログの背景を変えた。

淋しげな薄暮の 流星の写真から、星の海に。
(大仰にするつもりは なかったのだけど…)
(借りられる写真と、テンプレートの 組み合わせに 限りがあった)
  
頭が沸騰してたときに作った訳の分からないブログで、
読者は ホマレさんだけだから、壮大過ぎても まあいいか。
(人工知能の パトロールの監視対象になったのは、過去のこと)


私は恥じている。
『1年前あんなふうに決裂した相手に、
   何事も なかったかのような、新年の挨拶(営業)メールを送れる、

   自分の言行不一致と 不誠実さによって、
   人を傷つけたことを 自覚もできない』

そのように 心を軽く扱う人を、
心の癒し手と信じて、投資した自分を。 
  
※ 本当か嘘か分からない秋山さんの話











PR

8枚目の栞

理性で考えたら、
今の自分に 音楽鑑賞は そぐわない。

 

そのチケット代と交通費分のお金を持って、
古着屋に行けば、

ペラペラじゃない 冬用のコートを 買えるかもしれないし、 

米(玄米)代にすれば、

1ヵ月分くらい備蓄しておける計算になる。

 

常識人なら、コートか米を買えというだろう 。

私を心配してくれる友人は皆、申し合わせたように常識人だから、
秘密にせざるを得ないのだが、

 

極寒の地に住んでる訳ではないから、なるべく厚着をしない方が、

自分は、(多少 辛くても)鍛えられて、季節に順応できて、

生物として強くなり、余裕が持てて大人になれるような気がする。

 

それに今は、備蓄米よりも、心の栄養補給が必要なんだよ! 

なんて、
後で考えたことで、こじつけの言い訳。


満席で入場できなかったら、それがベストだ。
…などと考えて、
予約を入れずに電車に乗った。
 

列車の通過を待つ間に、ホームから電話をしたら、
席があると言われ、
 

うれしいのか、かなしいのか分からなかった。 

 

前に見たときは、学生さん風だったピアノ奏者が、
面変わりしていて タマゲタ。
  
その道で地道に何年も実績を積んで、30歳くらいになられたのだから、

貫禄が出ても当然だけど(時間の経過に愕然とした)。

 

オーナーと店長だけが ステージに立つ日を選んで、

ウェブ上に日記を残してきた。

 

最初は、

貧困ドキュメントと化していたサイトに、思いつくままに感想を書いただけ。

素敵だったけど、いつまた行けるか分からない。
うれしいのと悲しいのが混じった気持ちを書いた。

それが、検索エンジンに引っ掛かり、
ご本人(店長さん)の知るところとなった。

 

店長さんは優しいし大人なので、笑って下さったけれど、
(生活苦が滲み出た文章で、非常に恥ずかしい)

どうせなら、もっとマシな(?)言葉を書いて、

恥ずかしい(昔の)文章は、検索の圏外に沈めたいと思った。

 

そこで、
オーナーと店長の 名前と演目を、記事のタイトルにして(併記)、
電脳空間に、枝折りのように置いてきた。

先日 書いた 記事について、
(照明や、オーナーの十八番についての感想が…)
(デジャ ヴュ ?)
(何年か前に、まったく同じことを書いた気がする…)

半日くらい経過してから そう思い至ったが、
確認や推敲する余力は、もう残っていない。

何年経っても 同じことしか言えない(成長が止まった)自分で、
恥かしい文でも、
感謝を込めて、賛辞を記しておきたかった。

ただの ファンに過ぎない 自分には 無理だけど、
「価値あるものを きちんと 評価してくれる専門家」が いたら 良いのに…
素人と専門家の仲介をする人(評論家?)は、絶対に必要…と思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この世に私を置き、生命を供給し、人の形に保っているのは

天・・・?

昔、私が結婚を考えたくらい好きだった人は、
港街に住んでいた。(私の家からは遠い土地)

コンピュータ関係の仕事の他に、宗教活動とか、車のレースとか、
いろいろ忙しい人だったから、滅多に会えなかった。

珍しく会えて、私の部屋にいたとき(微かな地震があった?)
何気なく聞いてみた。
「ここで大地震が起きたら、どうする?」

彼の答えは、
「何日かかっても、歩いてでも浜に帰る」

私は、
(終わった)と思った。

仏教の中でも、一神教(個人崇拝)的な宗派の 2世だった その人は、
信仰(武闘に近い)と 親孝行と 仕事と 車のことで、いっぱいなのだと。

サバイバルの原則は、
大災害が起きたときは、まずは現地に留まり救助活動。
そう思っていたから私は。

だって、目の前の人と助けあえば、命を落とす人が少なくて済むから。
大災害が起きたときに、
生存者という生存者が、目の前の人には目もくれず、
ただひたすら遠距離移動(帰宅)に必死になってたら、変じゃない?

被災時においては、
目の前の怪我人を 助けることが 自然。そういう社会なら、
遠くにいる自分の家族のことは、誰かが気遣ってくれる確率が高いでしょう?

なのに。被災、即、帰宅って、あんた。…
どんなに好きでも、この人とは家族になれない、と思った。

頭(計算する脳)では 分かったのに、
心(情緒)は いまだに、砕け散ったままなのか?

心がダメでも、…
仕事だけは、遣り残さずに終わりたいね。
天職ってのがあるなら、それに従事したいものだ。

先日、わさびの生態を教えて下さった 岐阜大学の
植物の先生は、天職に就いているご様子だった。
大変そうだけど、生き生きしてらした。

三笠宮 崇仁殿下も、
プロフェッサー宮脇も、仕事の方から選ばれた人みたい。
大変そうだけど、生き生きして見えた。
 
 
松島氏の講義(性格タイプ)










異榻(イトウ)同夢(ドウム)の 朋(トモ)を 呼ぶ

ドキュメンタリー(ラジオ・朗読番組)
昨日の放送の『親に苦しむ子どもたち』…辛い話だったが、
何度か聞き直した。(確認するために ラジコで)

『翼をください』という歌が 途中から流れ出す。それは、
私の耳(脳)が、苦痛に感じる音楽なので、二重に辛かったが、
繰り返し聴いた。 大切なことを見過ごしたくなくて。


> 34歳で本格的な性的虐待の治療を始めました。
> 現在xxさんは39歳、治療を続けながら、
> 心の専門家である臨床心理士の資格をとるために大学に通っています。

> 親に傷つき苦しんでいる子どもたちに
> ほんとうにあたたかい言葉をかけて上げたい。

> それは、いまだに痛みを抱える自分にしかできないことだと
> xxさんは考えています。

> 10代の頃に、1度カウンセラーにかかったことがあったのだけれど、
> 先生から 『犬に噛まれたと思って忘れなさい』と言われたそうです。
> 心ない大人の言葉で傷ついたことから、臨床心理士になったら、
> 自分にしかできないケアを、子どもたちにしたいと思っているそうです。


過酷な過去に負けず、生き抜き、
まだ苦しみ続けながら、 傷ついた子どもの力になる道を選び、進んでいる。
私よりずっと若いxxさんに、敬意を表したい。
(私には到底 真似できぬこと) 
彼女の心が、治療を必要としない状態まで恢復することを 祈らずにいられない。

ただ私には、絶対に譲れないことがある。
傷ついた心に、
…包帯、薬、優しい手、その他 もろもろ。
…必要なものが与えられるように祈り、信じる私には。

同等の傷を負った人間にしか、分かりあえないとか、
深く深く傷つき 痛みを感じている人間にしか、救えない心があるとか、

そのような言説を肯定してしまうと、
『心理学など、子供だましに過ぎない』と、認めたも同然になる。

同等の悲惨を実地で味わったものにしか、救えない痛みがある?
認めない、絶対に、そんなことは。

現時点では、それが現実かもしれないけど、
 『それが未来でも常識』だとは、私は思わない。

心理学になど、もう殆ど期待を持てずにいる私でも、
同じ苦しみを味わった者にしか、救えない心があるとは思わない。

同じ苦しみに のたうちまわらなければ、真に優しくなれないとか、
心を許せるのは、同じ痛みを知る人だけだとか、
そのように決めつけてしまうと、
『人類の悲惨は、必要悪』みたいな結論に、なってしまわないか?
 
奴隷(生贄)を必要とする社会は、
生物として 不健康な集団だと 私は思う。

同じ悲惨を味わった者だけに癒せる病がある、と信じることは、
知性(心理学など)の敗北なのでは?

そしてそれは、
生贄を必要とする社会に留まる選択のように、私には思われる。












仕事や学校を選ぶ前に

地味なスーツで、営業成績を競っていた頃(私が30歳くらいのとき)、
同業者に連れられ、フィリピン・パブに行ったことがある。

若いホステスさんに カードを見せ「占い好き?」と聞いたら、
『占えるなら、国の子どものことが知りたい』と言われた。

他のテーブルにいた お嬢さんたちも、次々に顔を覗かせ、
『子どもが元気でいるか、観てほしい』と言う。

夜の蝶って、単身赴任の お母ちゃん率 高いな!
…と思ったら、無性に悲しくなった。
(国や経済の仕組みが、健全じゃないからだろう…とも思った)

大津美子さんが 東京アンナ を歌ったのは
17歳のときだから、これは恋の歌なのだろうが、
私にとっては、海を越えて異国に出稼ぎに来た 聖母たちの歌。

************************************

大手広告代理店で 2人目の過労自殺者が出た。
ご冥福をお祈りします。

広告って何?
「良い商品」とか「良いサービス業者」を、世に知らしめることですよね。

「肉体労働や、試行錯誤、地味な作業」をする たくさんの人がいて、
「良質のもの」と「買う人」が揃って、はじめて成立するものですよね。

何故、現場で汗や油や汚泥にまみれてる人より、
広告会社の社員ばかりが 超高給取りで、偉い人みたいに言われるのですか?

目くらまししている人たちが、いるからですよね?
奴隷の親分のように。

国立大学には、税金が投入されてることを、
世の親御さんは、分かっておいでですよね?

親孝行を考えて、
国立大学や、一流企業に合格して、おめでとう?!
危ういことです。
 
この世には、
自然の不思議などを研究をして、社会貢献したいのに、
経済事情で 諦めた者もいるのです。(私のように)

大学って本来、学術研究の機関でしょう?
なぜ経済状態で、門戸が閉ざされるの?

長い目で見て、
それ(経済格差の拡大)って、国の為にも良くないことなのでは?

怨嗟の氣が、積もりに積もって、
悼まれることもなく、国を覆えば、
2・26の青年将校も、黙っちゃいられませんわな。
英霊の聲(※)
    
   
   

すべての自動車が、
運転を誤てば、走る凶器と化すように、

すべての人が、
教育や環境によっては、生ける凶器になりかねない気はする。
(私が特別に凶暴って訳じゃなく、自分を裁かなくていいのかな)とも… 思う。
 
地獄に片足突っ込んだような、
地縛霊に喰われちまったような自分でも、

愛らしい子どもとか、美しい草木とか、可憐な小動物とかの、
心洗われる生き物の命は、 踏みにじりたくない。
身を挺してでも 守りたい!

だから、
趣味が浄化みたいになったので、知りました。

奴隷の親分的な人たちが、
オカルトで人心を洗脳、操作してることを。


世の親御さんは、子どもに教えないのですか?
社会のひずみの犠牲になるのは、弱い存在だと!

自分がハンディを背負ったとしても、大切な人を守りたいなら、
社会の健全さについて、いつまで無関心でいられる?

自分と家族の利益だけを追求していたら、
足元すくわれるかもしれないよ。
 
本質が何か、しっかり考えてください、若い人。
広告会社が突出して利益を出しているなんて、
異常なことよ、分からない?
 
その会社に、恨みをもつ人が、大勢いるとしたら、
社員に掛かる ストレスが増し、心を病む可能性も 増すかもしれない。

異常を 異常と 思わない組織に属して、
健康でいられると思いますか?

大切なものを 失う前に、
気づいて下さい! 若い人。
  

 


        
  • 1
  • 2
  • 3