忍者ブログ

ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

靈的 成長 トハ?

自分の精神が、生まれて来たときよりも
劣化したことは 明らかで、疑いようがない。

幼少の頃は、後先を考えずに
衝動的にイジメを止めに走ったし、
 
「他人にやたらと親切にするな、面倒事に巻き込まれるな」
養育者から そう厳命されていたのに、それに逆らい続けた。
(助けを求めている人に出会ったときは、微力を(最善を)尽くした)

逃げ場のない空間で、
無視されたり、差別されたり、

牛馬と同様に扱われるべき、下等な生物とみなされて
日常的に暴言と暴力を浴び続け、
心(と 言葉)が ひどく荒廃しても、

「自分がされて嫌だった事は、人には やるまい」と、
当然のように、思う子どもだった。

それが、

あまりに 報われず(徒労感、虚しさが募り)
気づいたときには、
鬼のようになっていた。

人間、真面目なだけで‥‥
遊びや 笑いが 足りないと、

正しい道を歩いているつもりでも、
孤立してしまい、
人の道から外れてしまうものらしい。

社会的に正しいと思われ、かつ、
目の前にいる人にとって最善に見える選択をしても、

自分の衣食住を 犠牲にしつづけたら、
倒れてしまう。

まして 非力な自分が、
全責任を引き受けようなどとすれば・・・

それは 無理だから。
無理を通せば、道理が引っ込む。

だから私は、
靈的に劣化したのだと思う。

生まれたときから 10歳くらいまでが、
私の 靈的な ピークで
(曲がりなりにも 成長していたかもしれない時期で)

それ以降は、
転落し続けてきた気がする。

これを挽回するのは難しいと思う。
でも、

報われなくても、
腐らないで、

自分の衣食住も、
大切にしつつ、

社会的に
(自分の属する集団のみならず、自然界に対しても)最善 かつ、

目の前の人にとって、最良と思えることを選べたら、
そして、それを、
毎日 繰り返せるように なれば、

人の道に、
靈的に成長する路に、戻れるかもしれない。







PR