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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

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無邪気が仇になるケース

「この人の笑顔が好きだ!」
「この人が本領を発揮して輝いているところが見たい!」
「この人が心の底から喜んでいる顔が見たい…」
そう思うことは、私にもある。

好きじゃない人に対しても、心で尋ねるときがある。
「おまサンの 良い顔が 見たいんやけど?」

だけど、
『この人しんどそうな。心底 笑わせたい』
『私には、その姿が鮮明にイメージできる。だから出来る』
と思い込んだとしたら?

それは、
百の善行も、千の祈りも、台無しにしかねない…
幼子のような(博打に近い)発想です。

『あの人を癒したい』とか『あの人を笑わせたい』
『私には、あの人への愛情があるから、きっと出来る』

そのように考えてしまう人は、珍しくない。
(相手が健康体であれば、問題が起きないこともあるでしょう)

しかし、相手の脳神経 または 精神面に、過労や 疾患がある場合、
良い結果は もたらされません。

※ 相手が アルコール依存症だったりした場合、
※ そのような考えで周辺にいる人は、共依存に陥りやすい。
 
悪気はなくとも、…
相手によっては(特に病人は)不自然な念力を感じ、反発するでしょう。

よかれと思っても、…
『自分が 相手をどうにかしたい、できる』と考えて、何かを行うというのは、
相手を 操作・コントロールしよう…と するのと同じこと。

それは、鏡に映った映像を見て、景色を変えようと思ったときに、
現実は そのままにして置いて、
鏡面を触って 映像を動かそうとする…ようなものです。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

ホマレ様
いつか一緒に料理など、出来たらいいと思っていました。
そのような日を迎えられたら楽しかろうと、今も思います。













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