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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

来し方 行く先

昔(祖父が弟を溺愛し、父親が妹を溺愛していた頃)
長子である私は連日、些細なことで父親に罵倒されたり殴られていた。

貧しくて高校に行けず、学びながら働ける仕事を選び(実質的には口減らし)
20代半ばで結婚した母親は、
(愛する夫が豹変したのは、長子の誕生後であることから)長子に当たった。

父親が毎日 怒鳴りかつ殴る相手は、彼の妻である母親と、長女の私だった。
父親が去ると、母親が延々と私を怒った。両親とも鬼のようだった。
(父親のキレる原因が、幼い私にはまったく分からなかった)
(後年、母親が言うには『子どもへの嫉妬と 昔の恨み』だったのではないかと)

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父親は、元は5人家族であったが、
大陸での医療事故で優しかった兄(中学生)を失い、
兄の死により母の笑顔を失い、
引き揚げの途上で母を結核で失い、故郷に帰り着けず、
母の死後1年を経ず、姉(15歳くらい)も急病で亡くなり、父子家庭に。

妻と子2人を無くした父(私にとっては祖父)が酒に溺れる中、
まだ小学生だった父親は肺浸潤を抱えながら、身体を酷使して日々の糧を得た。
成績で劣る同級生が普通高校へ行くのに、
向学心を持つ自分は商業高校進学しか許されず、悔しさを味わう。

家出して上京するが、街娼も避けて通るほど荒んでいたらしい。
算盤と簿記が出来たので会社員になったが、結核を発症。
入院先の病院で、同じような悔しさを持つナースから好意を寄せられ、
(彼女の目には、朗らかで良い性格の男に見えたらしい)
遊びたい盛りだったが、周囲にそそのかされて結婚。

長子が2歳の頃まで小さなアパートで暮らしていたが、
周囲の幼児らが、家屋を品定めして遊んでいるのを目撃する。
『ここはかねもちの家』
『この家はびんぼう』、『びんぼう』、『びんぼう』…
このままでは子どもが虐められると恐れて、都下(遠方)の新興住宅地に転居、
住宅ローン返済の為に無理をした父親はアトピーが悪化したり、倒れたりした。

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親の要求(完璧で迅速な家事手伝い)や、扱い(男尊女卑)に順応しきれず、
安心できる(気が休まる)場所がない家で暮らしていることの苦しさを私は、
控え目なSOS信号で、学校の先生(何人か)に発したが、
叱咤激励されるのが関の山だった。
(デリカシーのない教諭は、級友の面前で嘲笑した)

小学生を卒業する頃には、人間としての幸福をほぼ諦めていて、
卒業時の課題作文(将来の夢)に書けたのはただ、環境問題についてだけ。
「青い空と、青い海が いつまでも残っていると良い」

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高校生のとき、法力で問題を解決するという人物を訪ねたところ、
『親の許可がないと駄目』と追い返された。
人助けのふりをした、金儲けだったのかもしれない。

19歳のとき、八王子の山にあった精神病院を訪ねた。
暴力と暴言を浴び続けて、逃げ場や捌け口がなく辛かった私は、
ここでなら助けてもらえるかもしれないと思ったら、泣き出してしまった。
医師は言った。
『泣いてるだけじゃ何も分からない、帰れ!!』
まだDVなどという言葉が無い時代だった。

自殺を図るが(3度)
第三者を 巻き添えにしない方法ばかりを決行した結果、未遂に終わる。

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書物の中に救いを求め、
潜在意識、アファメーションについて知り、いろいろ試してみる。

自分にかけた洗脳
(自分は死ぬべき危険物、幸福が許されない、綺麗になったら殺されるなど)
を解きたくて、立川の催眠治療師の所に行く。

何回か通うように言われ、結構なお金を払ったものの初回に恐怖感を覚えた。
帰り道に、公衆電話から不安な気持ちを治療者に伝えたところ、
『貴方みたいな人は、絶対に治りませんよ!』という捨て台詞で電話が切れた。

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政木和三さんの本を読み、脳波を安定させるという機械を購入するが、
効果がなく、不安な気持ちが募った。
(後年分かったことだが、販売の過程で不純な人間が係わっていたらしい)

不良品かも知れないと感じた私は、製造元に電話した。
御本人が出てくださったが、ご気分を害されたようだ。

購入のいきさつや、
何十人もの精神科医やカンセラーから匙を投げられたことを訴えた私に、彼は、
『何十人に会ってダメなら、何百人にでも会いに行ったらいいでしょう!』
『下らない人生相談なんか もうやってませんから!』と電話を叩き切った。

彼は偉大な発明家で、精神世界にも詳しい人だった。
著書には『無償でたくさんの人を助けた』ことが書かれていたので、
誰にでも親切な人なのだろうと私は勝手に思っていたが、

天才である彼にとって、
他人の悩みに向き合うことは、大変な苦痛(神仏から課せられた修行)であり、
『もう止めて良い』という天の声が聞こえたときは、心底ほっとした…
と知ったのは、彼が亡くなってずいぶん経ってからだった。

書籍には そこまで書かれていなかったので、
当時の私には彼の怒りの理由が分からず、ただ混乱した。

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青梅の職場から、人手不足の横浜の支店に1ヵ月派遣された。
1ヵ月後、どちらの店で働きたいか尋ねられたとき、選択できず退職に至る。
(3年働いたら欧州に行ける。それが全社員(私も)の夢だったが叶わず)

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自分にかけた洗脳(魔道に通じる)を解きたくて、米本和広氏の本を読み、
その中で紹介されていた服部雄一氏に連絡したところ、
著書『多重人格者の真実』を買って、読んで来るように言われた。
具体的な性的暴行の様子まで書かれていて、私は吐き気を覚えたが、
藁をも掴む気持ちだったのでカウンセリングを受けに行ってしまった。
2回目に行ったとき私は言葉を発せず、筆談で話した。
有料カウンセリングの場が、修羅場になってしまった。

米本氏と出版社に惨状を訴えたところ、
(同様の目に遭う人が再生産されたら嫌だから、何とかしたいと思った)
嘲笑されてしまった。

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アドラー心理学の研究所を開いていた臨床心理士の
セルフカウンセリング教室に通った。(20年くらい前のこと)
受講生には様々な年齢層の人がいて 和やかな雰囲気のうちに終了。

後日 個人カウンセリングを受けたが、これは後悔する結果に終わった。
初回に宿題を出されたので、それを実践して報告した私に、臨床心理士さんは
『歌舞伎町へ行き、ヤクザさんにお願いして、殺してもらいなさい』と言った。
2回で1万6千円だった。

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十数年前、
オテラネットの相談掲示板に、自殺防止を意図して約1年半投稿した。
最初の3ヵ月は相談者として、それ以降は回答者(多重人格者)として。

現在その掲示板は、自称カウンセラーの独擅場の様相を呈している。
(管理人が殆ど不在な為、教祖と化した人物の自己実現の場になっている様子)

自殺防止を掲げる掲示板でありながら、 実のところ管理人の興味関心は、
水子供養に限定されていたので、イジメと荒らしが横行していた。
(自分のスレッドに自殺予告が書かれた雪の晩には、私は警察署に駆け込んだ)
 
今は無くなった『討論コーナー』では、
自称『仏教徒』の皆様が、私を肴に好き勝手なことを言っていた。
『縁なき衆生は度し難し』とか、
『苦しみ足りないから謙虚じゃない』とか…

ある日 親切な若い人が、
『S』さん『J』さん『A』さんへ、という書き込みをした。

何故あなた方は、yoo-gaさんだけは助けないの?
他の人たちには適切な言葉をかけているのに。
yoo-gaさんを助けて上げて、という内容だった。…

討論コーナーに、その書き込みを見つけた自称 仏教徒の論客たちは、
その若い人のことまで、醜い言葉で罵って悦に入っていた。
ブッタの教えとは何?
間違っても、弱いものを叩きのめすことでは なかろうに…
(親切な人が呼びかけた3人は、どれも私のハンドルネームだった)
(30人の投稿が並ぶ掲示板に向き合っていた頃、私は常に睡眠不足だった)

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掲示板に投稿を開始して半年くらい経った頃から、
臨床心理士さん(トラウマの治療で 弁護士が絶賛していた)のオフィスに、
毎週1回(1月~7月の約半年)通ったが、お金が尽きた。

(更に半年ほど通うことを勧められたが…)
(凄腕心理士が、相談者=異常者と認識していたのには、ショックを受けた)

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数年前は代替治療(キネシオロジー)に通い、
挫折しただけではなく、大きな負債を抱えてしまった。

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ENERGYTRONという治療器を恩師の薦めもあり15年くらい前に購入。
50万円くらい。私には効果がなかった。
部品はボロボロだけど本体は未だ使える筈。必要とする人に譲れたらいいのに。

(後でセールスマンが言った『数千人にひとり程度、効かない人がいる』と)
(でも返品は受け付けていないという。恩師も亡くなった…)

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バッチ・フラワー・レメディーの専門家には、
とても親切にしてもらった。

バッチ博士自身は50歳くらいで亡くなっているのだけど、
彼の作ったシステムは穏やかなので、私は好き。

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官足法の岡先生には、大変親切にしていただいた。
足を知って、健康管理ができたら医療費が減らせて良いと思う。

でも毎日20分揉み、500ccの白湯も飲み続けたが、
可笑しいくらい効果が現われない。
心の凝りが、足のタコの硬さと直結しているみたい。

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仙台アレルギークリニックの丸山先生が書かれた、可愛い千円の本
(千円を超える価値があると思うが、買うときは余裕が無くかなり悩んだ)
この本に書かれていることを、実践してみた。
(それで6月は、何度か嗚咽した)
しかしながら、効果は出ていない。

書かれていることは、反論できないことばかりで、
そうできたら良いと思ったのだけど、
(表紙を塗り絵にすると良いというアドバイスも試してみた)

ホ・オポノポノも効かない、
丸山先生の方法も効かないなんて、元気が出ないと困るのに。

(カラ元気と ウソ感謝で 取り繕ってばかりだと、心が腐る)
 
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だけど、右手小指の鱗傷は薄くなった。
(鱗を1枚剥がしたような、鑿で削ったような傷が長年あった)
 これは 7月18日の神山先生の治療のお陰としか思えない。
(急な手術が滞りなく終わったのも きっとそう)感謝しかない。

今は未だ、
マイナスをゼロに近づけるのがやっとだけど、
良いと思う道に躊躇なく進めるように、
良く生きようとしている人たちと助け合えるように、
(幾人かの恩人の厚意を無駄にしないためにも)
私は健康になりたい。
 
 






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