忍者ブログ

ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

心理学者を驕慢だと思ってしまうとき

昔、献血に行ってたときに、
採血が下手な看護師に 当たった記憶はない。

だけど、検査か入院だかで、病院で注射を受けたとき、
たまに、ひどい(痛い)目に遭った。
 
ある看護師は(私の腕の)血管から 外れたところに 針を突き立て、
皮膚の下(肉の中)で 血管を探るために、針先を 縫うように動かした。 
 
刺した場所に 血管がなければ、1度針を抜き、刺し直せばいいものを。
針で手探りされる者の身に なってみろ!
痛いぞ!

治療の現場に於いては、不具合箇所を探る 必要に 迫られることは、
あるかもしれない。

目に見えない、心だとか、脳機能であれば、
本人が自覚しえない、隠れた障害物みたいなものを、処理せねばならない
そんなときも、あるかもしれない。
 
そんなときに、治療を生業にする方が、自分本位では困るのだ。

見立てが違っていたら、潔く引き返すとか、
ノックしたドアが 開かなければ、別の扉を 控えめに叩いてみる…とか、
節度ある大人の、相手に対する 思い遣りを伴った「尋ねかた」を 切に希望する。
  
相手を 対等な人間と思っていたなら、
1度で血管に到達できなかったことを 誤魔化すために、
見当違いの場所から 肉の中を いたずらに縫うような真似、出来ないと思うのだが。
 
心身の治療の場で「あたかも運針」のようなことが、最近 2度起きた。
1度目は、私が「使ってほしくない」と 伝えてあった言葉が、
セッションのとき(こちらが 無防備な状態にあるとき)に、わざわざ使用された。

後日、不快だったことを伝えたら、
『嫌だろうなと思ったが、あえて使ってみました』とのこと。

冗談じゃない。
暮らしの9割9分が、危険と隣り合わせで不安だらけ。…
そう云う 日常生活を送っている人間に対して、高額な料金とった上で、
余計な不安や 不快感を与えて、どんな良いことがあると云うのか?
(クライアントを、意のままに操りたいとか?)
(人として、自分の方が上だと 示したいとか?)

そう云うことは、勘弁して下さいと、私は お願いした。
憤懣やるかたない思いで、憤死しそうな自分を抑えつつ…
「これまで、さまざまな心理治療が 頓挫したのは、私の雑念:エネルギー
(人としての 最後の誇り?)を、治療者たちが、完全に無視したり、
…逆に それに翻弄されたからではないか」と 感じていると。

『分かりました』と、言って下さった『先生』は、後日、
警察官でさえ、そこまでは聞きませんでした という程の、
私の感情に いっさい お構いなしの、暴行事件の再現を 強行した。

私の無力感は増し、人への恐怖や、暴力への不安も増し、
以前にも増して 「この世が平和」とは、思えなくなってしまったよ。

感覚のズレた私は、5日くらい経ってから思った。
「あれは、second rape 以外の なにものでもない」
これが私にとって 今年2度目の、専門家から受けた【心的運針】だ。
 
『木を見て 森を見ず』に なってないかと、カウンセラーは 私に言ったが、…
それは、あなたのことでは?

犯罪被害者に、暴行状況を 仔細に 尋問するなんて。
(サディストですか?)

たとえば 車の整備士が、執拗に 事故現場を 検分したがりますか?
必要ないでしょう?
修理(治療)のためには、そんな情報、必ずしも。

問題に フォーカスすれば、問題が増大し、
長所に フォーカスすれば、出来ることが増す…のでは?
 
『分かりました、次回からは 長所に焦点を当てましょう』
そう返信いただいた。
これ以上の 心的運針は、御免こうむる。
『2度あることは、3度ある』て云う諺が、当てはまり ません様に。

それにしても何故、心理を極めたはずの方が、そう云うことをなさるのだ?
心理学は、選民思想の影響から免れ得ないのか?

問題を抱えている人間は、
劣っているから、問題を抱えているので、見下していいのか?
右往左往している莫迦なので、からかっていいのか?
そんなはずない、でしょう。

 
 
 
PR