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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

VISION 心理学に 挑み、本日も 挫折

私が ビジョン心理学を愛するのは、
「癒すのに必要なのは、泪とは決まってない。笑い飛ばす方法もある」
と云う考え方が、好きだから。

その言葉に出会う前、私は
『脱洗脳のプロ』 を 自称する大学講師(米国帰りの 臨床心理士)から、
『君が人格を統合するためには、たくさん泣く必要がある』 とか、
『僕と出会うのが遅すぎたね、手遅れだね』 などという言葉を吐かれ ウンザリしてた。

でも、その頃の自分は、そんな人物に 賭けるくらいしかできなかった。
自傷行為を止める方法を探して迷っていて、3回くらい そこに 通ったと思う。

その人物の拠点は、遠くて不便な場所にあり、駅から数十分 歩いた記憶がある。
道中で、コクワガタに出会ったから、夏だったろう。20年くらい前のことだ。
バスもあったが、不愉快で高額なセッションに加えて、バス賃まで払うのは業腹で、
延々と バスを待つのも苦痛で(時間と金銭、両方 ムダにするのが嫌で)歩いた気がする。
 
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しかしながら、Dr. Chuck Spezzano、エクササイズの途中で、
『これが、幸せな人生を 生み出す 唯一の 方法です』 などと云う 表現に触れると、
(訳がまずいのか?) とか
(オリジナルからして、少し思い上がっていなさるのか?) などと、思ってしまう。

『その問題で、闘争状態に陥っている相手は誰ですか?』
…… 親戚、親、弟妹。

『彼らを打ち負かしたい訳は何?』
親戚:復讐したかったのかも。何故なら、
   :彼等は、虐待の被害者と加害者を 一緒くたにして、遠くから笑っていたから。
   :虐待の加害者は、病気だから、治療すれば治ったかもしれない。
   :でも、笑って見ていた血縁の人たちは、病人より危ないかもしれない。
   :人がずーーっと苦しんでいるのを、ずーーっと ひとごとと笑って済ますとか、
   :自己責任論で済ましちゃうなんてさ。
  
 親:殺したかったのかもしれない。何故なら、
  :自分たちの機嫌を良くする言葉や、報酬しか、受け取りたくないと ぬけぬけと言い、
  :自分を不快にする言葉や情報に 過敏に反応し、口汚く私を罵るから。
  :みずからが、汚い言葉や発想を子どもに向け続けて、子の心を引き裂いたくせに。
  :自分たちが蒔いた、厄災の種を刈り取ろうともせずに、幸福を要求するなんて、
  :舌切り雀の舌を切った、業突く婆のようではないか。恥ずかしくないのか?
  :会話がいきなり修羅場になることを、我が家の掟のように 選び続けた母が痛い。

 弟:殺したかったのかもしれない。
  :酒に飲まれ、酒の力で、父を真似て、人を傷つけてコントロールしようとした奴。
  :人を陥れ、酒に溺れたまま、酔ったままで、良いとこ取りで人生終わる気かよ。
  :まともな会話がしたくて、20年くらい、こっちは、情理を尽くした。
  :『寅さん』 気取りの外見と、エセ 広島弁(土佐弁?)を聞くだけで、げんなりする。

 妹:殺したかったのかもしれない。
  :あからさまに親に差別されていた(妹は宝物、私は家畜扱い)にもかかわらず、
  :暴力と暴言と無視の対象だった側、奉仕と感謝を強要されていた側の私が、
  :うらやましがらず、ねたみもしなかったのは 何故? 心が もう 死んでたからでしょう?
  :理性があるうちに、自分の心を恢復させ、穏やかに話せる友人になりたかった。
  :けれど彼女は、被害者の人生に馴染み過ぎたようだ。彼女の幸福を 願わなくはないが、
  :今後も、父や母に似た 行動パターンを 見せつけられたら、もう私は 耐えられないかも。

『その相手と コミュニケーションを開始し、あなたと相手が ともに勝つまで 継続して下さい』
 エクササイズ 49頁に 出てくる。続けて、
『これが、直ぐにも 将来的にも 幸せな人生を 生み出す 唯一の方法です』 と 書いてある。

おいおい、私はね、……
これまでずっと情理をつくして、彼等と会話しようとしてきたんだよ。
でも、相手は『決まった答え』 しか用意していなかった。

幾ら話せども、会話になっていなかった気がする。
相手に、聞く耳が無かった。
容量が いっぱい いっぱい みたいで。

今回の エクササイズ、
例外を認めないかのような文章、困るなあ。

書き直させてもらう。
  「コミュニケーションを あきらめないことは、幸せな人生を生み出す 最強の方法です」
 
 



 

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