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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

軒下に キキョウソウと アメリカオニアザミ(後者は無礼討ち)

ホマレさんが 卒業間際に紹介してくれた寓話
ヒビのある壺の話

この話に出てくるのは、
「傷の無い壺」と「瑕疵(カシ)のある壺」と「水汲み人」と、
「川」と「水」と「花」と「道」と「雇用主の家」

「傷があったことで、ジョウロの役目も果たし、花を咲かせた壺」と、
「瑕疵がなく、水を漏らさない綺麗な壺」は、
2つで良かった(足して2で割ると、80点+花だった)のでしょう。

78:22の対比を
適切とする考え方が、昔からありますよね。

70~80点で 成功だと(ありがたさを)認識しないと、怪我をする。
2~3割の 遊びを許さないと、大怪我する。(ような気がする)

アーチストが完璧を目指すのは、趣味だから まあ仕方ない。
だけど、
経済活動とか、教育とか、健康管理に、完璧主義は馴染まない。
(非常に危険です)

また、成功者(成功した状態を維持できている人)は、
収穫した全部を
自分の物にはしない(身内と親友と利害関係者だけで分配しない)ようです。

そういう仕組みを、考えていますか?
ホマレさん

そんな余裕 ない?
今 考えるべきことは、それじゃない?

ホマレさんの
なさりたいように、なさってくださいませ。
(聞いてみたかっただけ)


試験は「効果測定」
卒業から3年が過ぎ、貴女は 幾つもの 効果測定に臨まれました。

「メンタルヘルス・マネジメント検定Ⅱ種」しか、クリアできなかった私とは、
天と地ほどの違いに思えます。

その努力と勤勉さには、脱帽です。
その費やした時間と 汗に 相当する収穫があることを、祈っています。


劣等生だった私の 卒業発表の結語は、
「健全な仕組みづくりを要す」だった気がします。
現実はどうでも(書けていなかったとしても)そう言いたかったのです。
(心・頭に 余裕がないと、自分の言葉に責任が持てない…)

それは本気でした。
まとまった資金が無かろうが、コネが無かろうが、健康じゃなかろうが、
「この世に必要なものが 欠けている!」と、常々 思ってました。

そしたら、
市民のための 仕組みを作るような講座で、受講生を募っているのを知りました。
まとまった資金がなくても、住んでる地域を大切に思い、
その地域の福祉に貢献する気があり、抽選に当たれば 参加できるとのこと。

学校の場所も、
家から 歩いても行ける(雪でも通える、往復1時間以内の)近距離。

資格とは、無縁な講座のようです。
フィールドワークが 多いそうなので、体力が(多少)必要みたいですが、
授業料・入学金等の 個人負担は無し。
(フィールドワークにかかる費用は 不明ですが)

市民の 相互扶助の仕組みが 足りていないから、
そのために動ける人を養成する為に、自治体が資金を出すのだと思います。
(お金が無い人間は、何も出来ない……とは、限らないようです)

抽選に外れたら、
私よりも有能な人が、有益な仕組み作りに着手する未来を 喜ぶことにします。

抽選に当たったら、…
機会を与えられたことに感謝し、完璧を目指さずに 学舎に通いたく思います。












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