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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

初女さんの本に添える

ペンを執ること、能わず、横着にも、
横になって、人さし指で、
タブレット端末を操作(?)して、言葉を探している。

実家からスープの冷めない距離に、家を買った
頑張り屋で、確り者で、粗忽だった、お嬢ちゃんへ

本当に、児童虐待の被害者であれば、
親の家の近くに、家なんて買わないだろう。
そう思っていた、姉だった私からの、捨て台詞!だよーん

「本当の不幸自慢」について

劣等感に苛まれている人や、
依存性の強い人が、
やりがちなことには、

【攻撃】とか
【自慢】とか、
【延々とした泣き言や愚痴】なんかがある。

取るに足らないことで怒って、相手を怒鳴りつけたり、
普通に話して伝えれば良いことに、皮肉や毒気を込めて、相手を萎縮させたり。
『僕はこんなに凄いドクターだぞ!』と、証拠書類を患者に見せつけたり……

そんなことするのは、多分
心が幼い人か、
心が傷だらけの人か、
病人なのさ。

【延々と愚痴や泣き言をいう】ことで、
慰めを得ようとしたり、相手の精気を吸おうとする人の、
依存性、破壊力は、凄まじいのだ。
それこそまさに、不幸自慢と呼ぶにふさわしい。

そういう人たちに辟易し、私はオカルトを学んだ。
自分が遣られて嫌だったことを、私は人にしたくない。

私は無いよ。
妹から慰安や精気を得ようとして、
妹の時間を(無意識にでも)奪おうとしたことは。

「お前の方が傷が浅いんだから、自由に生きれるはずだ。喜べ」
「私のように無駄に苦しまず、幸福でいてほしい」
そんな気持ちで、お前の泣き言を遮ったことはあった。
悪かったな。思い遣りが、足りなかったかもしれない。

しかし、それは、
不幸自慢とは違うものです。

医療従事者である筈のお前が、
人の心について素人みたいで驚いたよ。

福祉の学校でも、
心理の学校でも、
目の前にいる人の痛みに、心を向けることよりも、
資格や試験にパスすることが、優先されていた。
医療の教育現場も、推して知るべしか。

依存症のこと、知る労を惜しむなかれ。
お前の問題の元は、依存体質の自覚なき家族なのだから。











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