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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

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2年前の感情

一昨年の冬だった。
心理学校(キャリア・カウンセリングを学ぶ場)で、私は 苦しくて苦しくて、
「治療者を紹介してほしい」 と 言い続けて 叶わず、泣いたことがあった。

本当に苦しくて、死んだ方がましだと感じていたのに、
先生方からは 『ただの考え過ぎ』 などと言われて、本当に辛かった。

「子どもも 欲しかったのに…」
そんなことまで、授業中に呻いたりした。

正気とも思えないが、
19歳から20年以上、ドクターハラスメントに遭い続ければ、
人間、おかしくなって、当然だろ。

元・編集者の心理学の先生は、
『血の繋がらない子どもを 支援する生き方も 良いのでは?』
そんな趣旨のことを おっしゃった。
「それは、そうですけど」と、私は答えたが……
そう言わされた気がして、腑に落ちなかった。

一昨日、やっと分かった。
そのときの 自分の気持ちが。

子どもが出来なかった夫婦が『子どもを欲しかった』と言うのと、
穏やかな「子どものとき」を、殆ど知らないわたしが、
「子どもも、ほしかった」と云うのは、意味が全然違う。

私は、女の子らしく装うことも、恐怖のためにできなかった。
「幼くて性別など関係なく、無邪気でいられる子どもの時間が欲しかった」
「それが無理なら、せめて穏やかな娘としての時間が欲しかった」
「それも無理だと云うなら、地味でも家族が欲しかった」
「それさえ無理なら、健康な脳と身体だけでも取り戻したい」
4重の意味があったのだ。

ずっと自分の中の狂いを自覚していて、
それで他者を傷つけまいと、主治医をさがしていたのだが、
どう云うわけか、前よりも ボロボロになっていた。

望んだことが、何ひとつ得られないまま、
人として、安心できる故郷も、家も、家族も、
思い出の中にすらないままで、
聖人のように 生きられないかって?
できる訳がない!
  
 
 


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