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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

甲斐なきことと知りながら

2009年12月1日(命の日)に開設した 、(背景が海の)ブログには、
テンプレート(借りた器)に カウンターがついていた。
今 見たら 8877 と、表示されてた。

チラシ 2000枚 配って、契約1件 取れれば 御の字と言われた。(保険屋時代)
名刺 1000枚 配ったとしても、大切にされるのは、1枚 あるか? ないか?
チラシも 名刺も、ゴミを増やす遊びだったのかも。(紙の無駄遣い?)

この(星 見上げる背景の)ブログは、(今は 嫌いな)妹の幸せを 祈るためのもの。
読者、…いなくてよい。
虚しいが、仕方ない。

大嫌いな相手でも、大切にしたいと云う願いを 形にしたら、
こう云う ブログになった。

昨日もらった名刺の名前(ファーストネーム)
ミノルさん…だった。(妹の名を連想させる)
そんな些末なことを吐き出すために、この(星の)ブログはある。


某サイトの読者に そそのかされて始めた(海の)ブログの過疎化も、 仕方がない。
余力のない人間が、単独で品質を維持・管理するのは至難の業なのだから。

寺院サイトの掲示板の 私のスレッドに、
日記を書く人が出たり、読者同士が会話したり、…
そんなことが 長く続いてしまい、『独立しろ』 と 勧める人がいた。
協力するからと。(それは、精神を病んだ人の嘘だったと、後で分かった)

のどかで、気軽で、便利な掲示板だった。
自殺予告があって、警察(生活安全課)に 駆け込んだり、冷や汗もかいたけど。

自殺防止サイトだったが、管理人の真の狙いは、水子供養の顧客の獲得だった。
だから、回答の責任者はおらず、善意の素人が 一所懸命 返事を書き込む一方で、
カウンセラー・モドキが、独特の世界観を披露して 得意がっていたり、
悩む人間を ゲームの駒と見なして、叩きのめすような、狂った連中も 跋扈していた。

その頃から、私の睡眠時間は 極端に短くなった。
7つくらいのハンドルネーム(人格)を 使い分ける 回答者になったから。
 
その掲示板の 最新ページに表示されるトピック(返事待ちの投稿)は30件あった。
(そのうちの 1件は、私のだったが)
深刻で複雑な 投稿であれば あるほど、まともな回答が ついていなかった。

私は、炎上したスレッドを 鎮火せずに いられなかったし、
悩み深い(攻撃的だったり、難解だったりする)投稿者を、無視できなかった。

そんなことが1年以上続き、さすがに疲れた。
討論の掲示板では、『Sさん、Bさん、Kさんへ』 と 投稿した人が 槍玉に挙がった。

『あなた方は何故、蛹さんに回答してあげないのですか?』
『他の人には丁寧な回答をしてるのに、なぜ蛹さんだけ避けているのですか?』
『1番苦しんでいる蛹さんを、たすけて上げて下さい』

Sも、Bも、Kも、書き込んでいたのは 私(蛹)だった。
応えようがなかった。討論する余裕など、私には なかったし、

悩める人(私 以外の)を見守る、誰かの心を、私は察して、
言葉に編んでた…だけ だった。
 
それで、無料の掲示板(自分で管理する1案件だけの)に 引っ越したが、
そのサービスは、数ヵ月後に終了となり、掲示板も消えてしまった。
 
あわてて ブログを 開設したけど、PHS しか 持っていない 私にとって
それは、不便きわまる代物で、気楽に書けるものでは もうなかった。

5年以上 書いてきて(月に1度の ときも あるが)、訪問者が 8千8百と 77人。
日数で割れば、ほぼ ゼロに近い数。…

電脳空間の プライベート・ビーチ だもの
アフィリエイト(ブログ主が 儲かる広告)が、一切ないのが 誇り(?)だった。
 
 
 
 
 
 
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