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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

炊事場の薔薇

taigu 和尚さんの 一問一答


我が家の台所には、給湯器がない。
給湯器を備え付けるための「ガス栓」は用意されている。
その栓は、四半世紀以上キャップを被ったまま 使われたことがない。

数年前から その灰色のゴムキャップには、
薔薇の花が括り付けられている。
ミズ Homare がくれた入浴剤に付いていた飾りだ。

給湯器も買えない程度の貧乏というのは、単なる事実でしかなく、
少ない持ち物で暮らすこと = 身軽 = 悪くない、と思ってる。

木の香りや、生け花は 嫌いじゃないが、
造花やドライフラワーで 部屋を飾る趣味はない。

でも、薔薇色の(紙製の小さなフェイクの)花は、
ゴム栓の上で咲き続けている。

いつか 湯沸かし器を買う日がくるか?
いつか このアパートを去る時、までの彩りとして。


私の口は奢ってしまっている。
大分産の青汁に、月3500円以上かけている。
身の丈にあった支出とは とても言えない。
贅沢をしていると思うけど、それが飲めないと つまらない。

自分の舌が 本物志向になったことは、
面倒なことだと思いつつ、仕方がないとも思っている。


ホマレさんが、私の渾身の褒め言葉を、
『うれしく思わなかった』のは、

その頃のホマレさんが 完璧主義者だったから…のような 気がしている。
彼女の中には『立派な物差し』があって、
美食家の味覚が、不味い食べ物を受け付けないように、
未熟で不自然なところがある人間を、受け付けられなかったように思う。

そんなことが出来るのは、身近に立派な人がいたからじゃない?
その人を尊敬する余り、無意識に 心に握りしめていたのでは?
人を測る 高い基準(物差し)を。


確かに私は嘘吐きだった。
赤いランドセルが欲しかったのに、虐待に気づいてほしくて、
「黒いランドセル」と言った幼少期から、
生き延びるために、幾つも嘘を吐いた。

だけど、
ホマレさんのことは、純粋に好きで応援してた。

しかしながら、
(精神的に美食家だった)ホマレさんには、私の褒め言葉は、
全然 嬉しくなかったとのこと。

言ったのが私(心の病み腐った人間)だった訳だから、
まあ…怪しまれても、仕方のないことではあった。

たとえ自分が腐っていても、
貴女に向けた私の言葉に 嘘は無かったのですが。

美人が語る嘘も、醜女が語る真実も、
完璧主義者にとっては、同じもの(どちらも無価値)…かもしれない。

 
貴女を一時 引きこもらせた遠因に、私の悪影響も あった気がする。
尊い貴女の人生を、2度と惑わせたくない。
  
福の神のような、
縁起の良い存在であることを選んだ貴女を、

私の貧しさや闇が邪魔しないように、
距離を隔てて幸運を祈るだけ。
 
 
 
 
 
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