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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

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かなしい遠足

道の脇の畑には、今年初めての雪がまだ残っていた。
清流でしか育たない生き物の生態や、産地について学ぶ講座の最終日。

市民講座で無料で、
その道のプロフェッショナルから、直に話が聞ける滅多にない機会。

もの凄く楽しみにしていたのに、遠足の前夜は徹夜。
(こんなこと30年も続けてりゃー…心臓が休みたがるのも無理はない)

環境保護区域だから「畑のまわり以外は、歩きまわらないで下さい」という
主催者側の事前説明(注意事項)を無視するかのように、
参加者の何人か(私より10歳は上だろうと思われる)が、
畑から外れた場所まで足を踏み入れていたので、驚いた。
 
見るだけでも貴重な、稀少な、保護地に ひと群れしかない【原種】を、
全体の7~10分の1程度、その場で引き剥がし、
『手持ちのビニール袋に採取』している人がいたのには、
開いた口が塞がらない……

一緒に参加した知人に(帰り道)、私は呟いた。
「堂々と原種を盗んでた人がいたけど、関係者だったのかしら?」
知人は言った。
『違う(一般参加者)でしょう』
 
裏の事情があったのか? 私には分からない。
資料として使うために採っていたのかもしれない?
所有者と研究機関 双方に了解を得て、原種を切り取ったのかもしれないが、
(そういう貴重品を、下足入れに提供されてた類の ビニール袋に入れる?)
私は気分が悪かった。

たとえ、管理者や権威者の許可を得ていたとしても、
あのオッサンは、
あの土地に対して、敬い畏れる気配が 全然 無かった。
だから、
あの土地に対し、敬意を抱いて そこにいた私のことも、
当然のごとく 眼中に無かったのでしょう。

サワガニが、せせらぎを渡る姿を見て、
私の気持ちも、ひととき晴れたのだが、…

先生が話している背後で、原種が取られる様子を目撃した私は、
悲しくなって、1人 腰を落とし、畑を見つめた。

緑色の葉の間から、黄色い物が見えた。
何だろう?

ビニールの菓子袋だった。
畑の中に入ってはまずい、…と思いつつ、
抜き足 差し足で、そのゴミを拾った。

哀しいのは、
ゴミを撒き散らすヒトの心の貧しさを、そこに見たからか?

帰り道、信号機のない横断歩道。
自動車がなかなか途切れず、私を含む3人が、かなり待たされた。

『外国では、歩行者優先なのにな~』と、紳士が呟くので、
私も つい、愚痴った。
「遅れてますね、ニッポンは」
「民度が低い!」

アンタ何様ですかって?
人の世を渡り損なって、難破した、木の葉の舟みたいな生き物です。

子どもを生み育てることに憧れてたけど、叶わなかったので、
(ささやかな努力は 水泡に帰した)
身ふたつになった ご婦人には、無条件に脱帽してしまいます。










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驚異のダンゴムシ

健康に暮らし、その心が天に背いていなければ、
パートナーを見つけることは、難事業ではないと思う。

変わり者のキツツキや、軒下のダンゴムシにさえ、
苦もなく出来ることだもの。

以前、ダンゴムシを 退治しようと思い、
水を張ったバケツに、百匹くらい 放り込み、水責めにした。
 
2匹ずつ セットになった ダンゴムシは、
水中でも、平然と動きまわっていた。
(戦車のように悠然と)
 
あきれた私は バケツを横倒しにして、
ダンゴムシを 土の上に戻した。
  
そのとき、単独で(1匹でいる)奴は、皆無だった。
ダンゴムシ という ダンゴムシが、カップルだった。

ヒトも 自然の掟に従い、天に逆らわずに暮らしていれば、
家族を作りたいと思うなら、自然な流れで出来ることと思う。
 
それを困難にしているのは、
オカルトに操られ、世の中を ミスリードしている人たち だと思う。
 
 
レイン
 
四季

See You Again 
 

 
 
 
 

今は もう、ふやけてはいない日向夏

先日、ピートモスの育苗ポットに植えた ニューサマーオレンジ (2匹)は、
数日後には、ポットの底を突き破って根を出した。

そのままにしておけば、早晩 枯れるので、
2合弱(350ミリリットル)の 容器を買ってやった。

果実の中で発現していた本葉は、外界の大気汚染に耐えかねたのか?
どれもこれも退縮してしまった。

根も茎も、育ちが早かった方は、
新芽を出した。


だけど、もう片方は、茎が1センチほど出てるだけ。
前回、写真を撮った時と(見た目、上辺は)変わってない。
でも生きてる。(小さくても、鮮やかな緑色だもの)

胎内のような、果肉の中で ぬくぬく育っていた茎は、
はじめて見たときは、太った青虫みたいに 締りのない姿だった。

心の綻びを隠して(真に心を診る医師との縁がなく)
人格を分裂させるなど、狂気を利用して社会と対峙してきた私が、
他者からは、のんきな人に見られることが ままあるのは、

儲けに直結する技術を持ってなくて、その日暮らしなのに、
御伽話を信じてて、3拍子のリズムで生きてるからなのか?
(魂が?  ふやけてるのか?)
 
 


      
 
 
 

芽・芽・芽・芽・芽・芽・芽・芽・芽・芽 ✖ 2

虫に食われまくり、無惨に枯れたホーリーバジルに、種が残っていた。
植物が好きな知人に、30粒くらい 贈った。

葉っぱの1枚も収穫できず、虫除けにもならなかったが、
目に見えない効果(邪気を払う)は あった、かもしれない。

今年の前半は、人間嫌いに拍車がかかるような事が たくさんあった。
①精神衛生の権威者:精神科医 が 展開する、寒い光景に凍りついた。
②オカルト界の権威者と対面。向こうは上機嫌、こちらは得るところなし。
③昔 私が彫った仏像を託した 僧侶に再会したら、尊大極まりない人になってた。

にもかかわらず、
オカルティック(不可思議)な 傷の 恢復をみた。

私の右手の小指には、射的の的のような傷があった。
皮膚が2枚 削り取られた形で、何年も塞がらなかった。
普段、さしたる支障はないものの、不気味だった。

原因不明だが、
何者かが、意図をもって刻んだ傷のように見えた。
まるで 悪魔との契約の印みたいで、
それは 私が(人の助けを得られない死に損ないのクズで)
オカルトに頼るしかなく、魔道に堕ちた証みたいで、気が滅入った。

その傷が 今は、小さな点にしか見えない。
完全に治った訳じゃないが、以前のような 目玉模様では なくなった。
油断したら 再発(?)しそうな気がするが、恢復しつつあるのは 嬉しい。


ホーリーバジルを刈り取った植木鉢から、こぼれ種が芽吹いた。
その容量で育つのは、2本が限界だ。
間引いた奴を 育苗ポットに移植して、残そうとしたら、
台所の窓辺が、ポットだらけになってしまった。(20個)
私が管理できる限界を超えてしまった。

優秀な彼女も、限界を超えて頑張っているのではないか?
大きなお世話だろうが心配になる。
彼女は心に曇りがないから、人間の邪悪さに 疎いようなので。

心配の根拠 ①

彼女は、先生方の期待を『無償の愛』と思っていたようだけど、
それが純粋な愛情とは、私には思われなかった。

先生方が 期待せずにおれない、愛さずにおれない、
彼女が そういう生徒、人間的魅力に溢れた人なのは事実だ。
先生方が 彼女を贔屓にしても、
誰も文句を言わないし、嫉妬する気にならなかった。
それも認める。

だけど、先生方の『精神衛生の権威』としての振る舞いは、どうだった?
(私が彼女を大切な友人と思っていなければ、思い出すこともなかろうが)

苦しんでる私に対して、先生方が言ったことは、
・通学できるのだから、治療が必要と思うのは君の勘違いである。とか、
・大学院に進学し、心理学を究める必要が貴方にはある。とか、
・カウンセリングが高価で受けられないなら、安価な勉強会に来なさい。…


自傷行為によって、辛うじて精神のバランスを取りつつ、
後ろ盾というか、理解者も、生活を共にする人もなく、
経済的にも 身体的にも 知的にも 全然 余裕のない私が、大学院に行くのは、
カバに『砂漠を旅せよ』 と言うのに等しい、実現不可能な アドバイスだった。


『通学できる君には、治療など必要ないはず』
『睡眠さえしっかり取れば』
そう言って、睡眠の膨大な資料をくれたのは、親切な先生だったと思う。
でも、膨大な資料を読むことが、どれほど私の負担になるのかは、
想像していなかったようだ。(人間観察が甘い)

私のことを、
『社会的弱者を 教育・支援する仕事に 興味がある』と思ってたそうだ。
それこそ勘違いだよ、先生。

自分と同じような(社会から はみ出す)人間に、増えてほしくない。
だから、志が高くて 優秀な人に、そういう仕事に就いてほしかった。
自分が出来る仕事ではないし、就きたい仕事でもなかった!

 
お金がない私に、
『1回3000円の勉強会にいらっしゃい』 と言った
カウンセリング技術に 自信を持っておいでだった先生。
舐めてたでしょう、私を。
 (行ってたら 滅茶苦茶になったことでしょう、大切な勉強会)
 
『私が、先生と同じ出自だったら、私を助けて下さったでしょう?』
血を吐く思いで 私が そう言ったとき、先生は 無表情だった。
(いつもは表情豊かな先生が)
  
私は 確かに 常軌を逸していたので、拒絶されても仕方なかったと思う。
だけど、いやしくも 心の専門家を名乗る方が、
『これも売っています、あれも売っています』みたいに 派手に宣伝しながら、
『お金が無い人は、立ち入り禁止です』というような、
心に重荷を抱えた人間を 期待させて、
崖から突き落とすようなこと遣ってて、平気なのですか?
 
『自分の領分ではないから』?
『こんな人間は見たくない』?

ああいう寒い思いをしたくないから私は、
極力 人の顔など見たくないのだ。

それに、
あらゆる面で困っている人間から、お金を取るって、どうなの?
(1回3千円の勉強会だって、交通費を入れれば4千円以上かかる)
 
『勉強会においで、研究材料になってくれれば 出世払いでいいよ』
そんなふうに言うことは、出来なかったですか?

私は思う。
先生と私が 同郷であれば、先生は そのように おっしゃったろうと。
でも先生は、
(戦争の加害者の子孫である?)私を、割り切って捌くことができた。


優秀な友人を 贔屓にした先生方が、
そのように、甘いところや 冷たいところがある方々だったから、
私は心配になる。

無意識に、
ご自分の権威づけに、優秀な生徒を利用してるのじゃないかと。 
 
彼女の人徳で、その後、もっと たくさんの良い師に恵まれてる?
そう、
彼女が今 幸福なら、それで良い。


心配の根拠 ②

遊園地(子どもの遊び場)で、結婚式を挙げた芸能人がいる。
そのニュースを聞いたとき、私は思った。
(彼等は、生涯 夢の国で生きてゆくつもりかもしれない)
(未来の子どもたちのために、大人の責任を引き受ける覚悟はないかも?)
(三島由紀夫の『果実』のように、お互いだけを見つめ合って生きる?)

まだ若いタレントが『自伝を出す』ことを、私は危ういと思う。
タレントでなくとも、
暴力・虐待のサバイバーが『体験本』を 出版するということは、
「写真集」や「ダイエット本」を出すのとは違う、覚悟がいるだろう。

必ず軋轢を生じるからだ。
『加害者』を糾弾する書になるし、
『傍観者』を裁く本にもなる。
『サバイバーの教則本』のように、読者が信じ込んだら 危険だ。

自分と同じ状況で苦しんでいる人に勇気を与えたい。
という動機は、純粋かもしれない。

だけど、
『加害者・傍観者の感情(生き辛さ)については、まったく斟酌しない』
そのような戦闘モードから発信される本が、この世界で、
より多くの「恢復」に寄与するか?
より多くの『闇』を引き出すか?
…私には分からない。

ただ私は、子どものための遊園地で結婚式を挙げる大人は尊敬できず、
少しも尊敬できない人の本を、手にとる気には ならない。

その芸能人については、注意深くアンテナを張っていた。
何故かというと、私の敬愛する優秀な友人が、
ヘレン・ケラーと同列に、
その芸能人のことを 引き合いに出したメールを くれたことがあったから。

彼女が叱咤激励してくれたことには、感謝しているが、
よりによって、私に 天敵を見習いなさいとは。…

結婚式の場所が『子どもの夢の国』だった芸能人は、私にとって、
「子どもを守り助ける大人になります」という決意を見せずに結婚した人、
子どもの時の(酷い目に遭ってる)私を、見て見ぬ振りしてた大人の仲間。
…そーゆー若者を見習えと言われて、屈辱を感じない訳がない。

私は、怒りを抑えられず、
優しい友人を傷つける言葉を吐いてしまった。


その芸能人は、友が言ったように、私が倣うべき人物だったのか?
ずっと気にしていた。

今年になって、かの芸能人カップルが マスコミに出演し、
子づくりに励んでいる様子を語っていた。

ゲイ仲間からの精子提供を待っていますと。
はしゃいでいるように、私には思えた。

その情報に触れたのに前後して、
アメリカの ゲイ・クラブで 銃乱射事件が起きた。

不謹慎ながら その頃、闇の住人だった私は 思ってしまった。
(性的志向は、生まれつきで どうしようもないかもしれない)
(でも、マイノリティーだろうと、そうじゃなかろうと、…)
(自分たち(同じ趣味の人)だけで、幸福を追い求めるのって、健康か?)
(大人として)
(私が ゲイで、結婚できたとしたら、命を生み出す試みには手を染めない)
(2人分の知恵を使えるのであれば、…)
(既にこの世にいて、優しい目や耳や手を必要とする人のことを考えたい)
 
今(現在)も、日本には、
被虐待や 貧困で 困っている 子ども(助けを要する)が、いるらしい。
金持ち優遇政策のお陰で、貧富の差が大きくなっているから、
理不尽さに泣く子どもの数は、昔より増えているみたいだ。

 そういう子どもたちには、まるで関心がない様子で、
(自然じゃない)出産に 挑戦しているという カップル。

ああ やっぱり この人たちは、夢の国の住人なのね。
幼い私を 暴力の生贄に し続けた人たちと同じで、悪意はないけど、
無条件に 子どもを守ろうとする大人では、ないらしい。
…そう思ってしまった。


心の専門家になる(なられた)人は、
(かつての私のような)闇に通じる者と 対峙することが あるかもしれない。
いたずらに傷つかないことを祈る。

悪意はないけど、傷ついたり 傷つけたり。
それが、
人間関係の破壊ではなく、
理解と扶助につながることを 切に願う。








 
 

林檎と鶯と雀



発芽して 1ヵ月 の リンゴ。
日陰(私が管理・観察しやすい北窓の外)という 厳しい環境にも かかわらず、
すくすく(?)育っている。

この林檎の種子は、
(ポストに投函されていた アンケートに答えた縁で)
この春に出会った人がくれた2個の林檎の中にあった。
(根を出していなければ、植えてみよう…とは 思わなかったのだが)

防虫のために、状差し(網製)に ファスナーを付けた カゴに入れてある。
網戸越しの、籠入り林檎。

片方の奴は、
殻(葉っぱに比べると、非常に堅い)が なかなか外れず、
長いこと 音符(オタマジャクシ)みたいな姿だった。

半月前に 私が殻を取った。
なにゆえ、こんなところで芽吹くのですか?
…まったく分からん。
でも、目覚めたのが(生きてるのが)うれしそうだ。

夏至を過ぎた。
梅雨なのに雨が少ない。

ウグイスが、よく鳴いている。
「ホ~ホケ・キヨ」
「ホケキョ・ケキョ」

草の繁みに、雀が降り立つのを見た。
緑の中に、茶色の 小さな、丸い頭と肩(?)
何故か、むしょうに可笑しい。
あの雀には 憂いが無いからだろうか?
無邪気さが あふれていたから?