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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

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DMに返信をくれた方に

今月1日の手術が決まったのは、7月の下旬だった。
呆然となった。

…貴重で高価な薬石の効なし?!
※ 私の場合 薬石というのは 北海道産の「クマザサエキス」と、
  大分県産の大麦若葉「赤神力」を、
  搾汁 → 繊維質を除去 → 非加熱粉状で販売されている
 「日本薬品開発株式会社(兵庫県伊丹市北伊丹7丁目98番地)」の
 「青汁エキス」の2つのことだが。

その呆然となっているときに、
「MUGEN-JU」から、高野誠鮮氏のイベントの告知メールが来た。

自然農法(無農薬・無肥料栽培)の話ならいざ知らず、
UFOに特化した話?

…今の私に是非とも必要な情報じゃないよね?
…3000円て、交通費も入れたら4000円以上になるよね?!

理性の声(いらない、いらない)
情動の声(良い筈の事がいい結果を産んで無いじゃんか、ならば いっそ)

そういう経緯で申し込み。
残暑がぶり返した本日、これから行って参ります。

先日、六本木の西原研究所で、
人間の進化の話と、血圧や呼吸のことと、
白血球の思いがけない振る舞いについて教わり
私が不健康だった理由や、薬効を得られなかった理由がやっと分かりました。

今日の探検(?)の成果は、 是非
返信を下さった方と シェアしたいと思います。

また、手術前の写真のコピーをドクターから貰えることになったので、
膿瘍で蝕まれて根の一部分が損なわれても、
進取の気性と 技術と 親切心のある治療家の手を借りることで、
摘出を免れた(今の日本では稀な)体験も、シェア出来ればと思っています。









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来し方 行く先

昔(祖父が弟を溺愛し、父親が妹を溺愛していた頃)
長子である私は連日、些細なことで父親に罵倒されたり殴られていた。

貧しくて高校に行けず、学びながら働ける仕事を選び(実質的には口減らし)
20代半ばで結婚した母親は、
(愛する夫が豹変したのは、長子の誕生後であることから)長子に当たった。

父親が毎日 怒鳴りかつ殴る相手は、彼の妻である母親と、長女の私だった。
父親が去ると、母親が延々と私を怒った。両親とも鬼のようだった。
(父親のキレる原因が、幼い私にはまったく分からなかった)
(後年、母親が言うには『子どもへの嫉妬と 昔の恨み』だったのではないかと)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
父親は、元は5人家族であったが、
大陸での医療事故で優しかった兄(中学生)を失い、
兄の死により母の笑顔を失い、
引き揚げの途上で母を結核で失い、故郷に帰り着けず、
母の死後1年を経ず、姉(15歳くらい)も急病で亡くなり、父子家庭に。

妻と子2人を無くした父(私にとっては祖父)が酒に溺れる中、
まだ小学生だった父親は肺浸潤を抱えながら、身体を酷使して日々の糧を得た。
成績で劣る同級生が普通高校へ行くのに、
向学心を持つ自分は商業高校進学しか許されず、悔しさを味わう。

家出して上京するが、街娼も避けて通るほど荒んでいたらしい。
算盤と簿記が出来たので会社員になったが、結核を発症。
入院先の病院で、同じような悔しさを持つナースから好意を寄せられ、
(彼女の目には、朗らかで良い性格の男に見えたらしい)
遊びたい盛りだったが、周囲にそそのかされて結婚。

長子が2歳の頃まで小さなアパートで暮らしていたが、
周囲の幼児らが、家屋を品定めして遊んでいるのを目撃する。
『ここはかねもちの家』
『この家はびんぼう』、『びんぼう』、『びんぼう』…
このままでは子どもが虐められると恐れて、都下(遠方)の新興住宅地に転居、
住宅ローン返済の為に無理をした父親はアトピーが悪化したり、倒れたりした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
親の要求(完璧で迅速な家事手伝い)や、扱い(男尊女卑)に順応しきれず、
安心できる(気が休まる)場所がない家で暮らしていることの苦しさを私は、
控え目なSOS信号で、学校の先生(何人か)に発したが、
叱咤激励されるのが関の山だった。
(デリカシーのない教諭は、級友の面前で嘲笑した)

小学生を卒業する頃には、人間としての幸福をほぼ諦めていて、
卒業時の課題作文(将来の夢)に書けたのはただ、環境問題についてだけ。
「青い空と、青い海が いつまでも残っていると良い」

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高校生のとき、法力で問題を解決するという人物を訪ねたところ、
『親の許可がないと駄目』と追い返された。
人助けのふりをした、金儲けだったのかもしれない。

19歳のとき、八王子の山にあった精神病院を訪ねた。
暴力と暴言を浴び続けて、逃げ場や捌け口がなく辛かった私は、
ここでなら助けてもらえるかもしれないと思ったら、泣き出してしまった。
医師は言った。
『泣いてるだけじゃ何も分からない、帰れ!!』
まだDVなどという言葉が無い時代だった。

自殺を図るが(3度)
第三者を 巻き添えにしない方法ばかりを決行した結果、未遂に終わる。

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書物の中に救いを求め、
潜在意識、アファメーションについて知り、いろいろ試してみる。

自分にかけた洗脳
(自分は死ぬべき危険物、幸福が許されない、綺麗になったら殺されるなど)
を解きたくて、立川の催眠治療師の所に行く。

何回か通うように言われ、結構なお金を払ったものの初回に恐怖感を覚えた。
帰り道に、公衆電話から不安な気持ちを治療者に伝えたところ、
『貴方みたいな人は、絶対に治りませんよ!』という捨て台詞で電話が切れた。

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政木和三さんの本を読み、脳波を安定させるという機械を購入するが、
効果がなく、不安な気持ちが募った。
(後年分かったことだが、販売の過程で不純な人間が係わっていたらしい)

不良品かも知れないと感じた私は、製造元に電話した。
御本人が出てくださったが、ご気分を害されたようだ。

購入のいきさつや、
何十人もの精神科医やカンセラーから匙を投げられたことを訴えた私に、彼は、
『何十人に会ってダメなら、何百人にでも会いに行ったらいいでしょう!』
『下らない人生相談なんか もうやってませんから!』と電話を叩き切った。

彼は偉大な発明家で、精神世界にも詳しい人だった。
著書には『無償でたくさんの人を助けた』ことが書かれていたので、
誰にでも親切な人なのだろうと私は勝手に思っていたが、

天才である彼にとって、
他人の悩みに向き合うことは、大変な苦痛(神仏から課せられた修行)であり、
『もう止めて良い』という天の声が聞こえたときは、心底ほっとした…
と知ったのは、彼が亡くなってずいぶん経ってからだった。

書籍には そこまで書かれていなかったので、
当時の私には彼の怒りの理由が分からず、ただ混乱した。

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青梅の職場から、人手不足の横浜の支店に1ヵ月派遣された。
1ヵ月後、どちらの店で働きたいか尋ねられたとき、選択できず退職に至る。
(3年働いたら欧州に行ける。それが全社員(私も)の夢だったが叶わず)

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自分にかけた洗脳(魔道に通じる)を解きたくて、米本和広氏の本を読み、
その中で紹介されていた服部雄一氏に連絡したところ、
著書『多重人格者の真実』を買って、読んで来るように言われた。
具体的な性的暴行の様子まで書かれていて、私は吐き気を覚えたが、
藁をも掴む気持ちだったのでカウンセリングを受けに行ってしまった。
2回目に行ったとき私は言葉を発せず、筆談で話した。
有料カウンセリングの場が、修羅場になってしまった。

米本氏と出版社に惨状を訴えたところ、
(同様の目に遭う人が再生産されたら嫌だから、何とかしたいと思った)
嘲笑されてしまった。

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アドラー心理学の研究所を開いていた臨床心理士の
セルフカウンセリング教室に通った。(20年くらい前のこと)
受講生には様々な年齢層の人がいて 和やかな雰囲気のうちに終了。

後日 個人カウンセリングを受けたが、これは後悔する結果に終わった。
初回に宿題を出されたので、それを実践して報告した私に、臨床心理士さんは
『歌舞伎町へ行き、ヤクザさんにお願いして、殺してもらいなさい』と言った。
2回で1万6千円だった。

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十数年前、
オテラネットの相談掲示板に、自殺防止を意図して約1年半投稿した。
最初の3ヵ月は相談者として、それ以降は回答者(多重人格者)として。

現在その掲示板は、自称カウンセラーの独擅場の様相を呈している。
(管理人が殆ど不在な為、教祖と化した人物の自己実現の場になっている様子)

自殺防止を掲げる掲示板でありながら、 実のところ管理人の興味関心は、
水子供養に限定されていたので、イジメと荒らしが横行していた。
(自分のスレッドに自殺予告が書かれた雪の晩には、私は警察署に駆け込んだ)
 
今は無くなった『討論コーナー』では、
自称『仏教徒』の皆様が、私を肴に好き勝手なことを言っていた。
『縁なき衆生は度し難し』とか、
『苦しみ足りないから謙虚じゃない』とか…

ある日 親切な若い人が、
『S』さん『J』さん『A』さんへ、という書き込みをした。

何故あなた方は、yoo-gaさんだけは助けないの?
他の人たちには適切な言葉をかけているのに。
yoo-gaさんを助けて上げて、という内容だった。…

討論コーナーに、その書き込みを見つけた自称 仏教徒の論客たちは、
その若い人のことまで、醜い言葉で罵って悦に入っていた。
ブッタの教えとは何?
間違っても、弱いものを叩きのめすことでは なかろうに…
(親切な人が呼びかけた3人は、どれも私のハンドルネームだった)
(30人の投稿が並ぶ掲示板に向き合っていた頃、私は常に睡眠不足だった)

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掲示板に投稿を開始して半年くらい経った頃から、
臨床心理士さん(トラウマの治療で 弁護士が絶賛していた)のオフィスに、
毎週1回(1月~7月の約半年)通ったが、お金が尽きた。

(更に半年ほど通うことを勧められたが…)
(凄腕心理士が、相談者=異常者と認識していたのには、ショックを受けた)

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数年前は代替治療(キネシオロジー)に通い、
挫折しただけではなく、大きな負債を抱えてしまった。

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ENERGYTRONという治療器を恩師の薦めもあり15年くらい前に購入。
50万円くらい。私には効果がなかった。
部品はボロボロだけど本体は未だ使える筈。必要とする人に譲れたらいいのに。

(後でセールスマンが言った『数千人にひとり程度、効かない人がいる』と)
(でも返品は受け付けていないという。恩師も亡くなった…)

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バッチ・フラワー・レメディーの専門家には、
とても親切にしてもらった。

バッチ博士自身は50歳くらいで亡くなっているのだけど、
彼の作ったシステムは穏やかなので、私は好き。

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官足法の岡先生には、大変親切にしていただいた。
足を知って、健康管理ができたら医療費が減らせて良いと思う。

でも毎日20分揉み、500ccの白湯も飲み続けたが、
可笑しいくらい効果が現われない。
心の凝りが、足のタコの硬さと直結しているみたい。

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仙台アレルギークリニックの丸山先生が書かれた、可愛い千円の本
(千円を超える価値があると思うが、買うときは余裕が無くかなり悩んだ)
この本に書かれていることを、実践してみた。
(それで6月は、何度か嗚咽した)
しかしながら、効果は出ていない。

書かれていることは、反論できないことばかりで、
そうできたら良いと思ったのだけど、
(表紙を塗り絵にすると良いというアドバイスも試してみた)

ホ・オポノポノも効かない、
丸山先生の方法も効かないなんて、元気が出ないと困るのに。

(カラ元気と ウソ感謝で 取り繕ってばかりだと、心が腐る)
 
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だけど、右手小指の鱗傷は薄くなった。
(鱗を1枚剥がしたような、鑿で削ったような傷が長年あった)
 これは 7月18日の神山先生の治療のお陰としか思えない。
(急な手術が滞りなく終わったのも きっとそう)感謝しかない。

今は未だ、
マイナスをゼロに近づけるのがやっとだけど、
良いと思う道に躊躇なく進めるように、
良く生きようとしている人たちと助け合えるように、
(幾人かの恩人の厚意を無駄にしないためにも)
私は健康になりたい。
 
 






ホリスティック・クリニック(2)

ゴールデン・ウイーク前に予約を入れていたが、
火災警報器の点検と重なり、キャンセルしていた。
(家主さんから点検日の通達が来たのが、1週間を切ってからだった)
(法律で決まっているとのことで、日時の変更ができない)
(家に居て 点検を確認するのが、借家人の義務ということになっている)
(押し入れの天井にも検査器具が入るので、それなりの準備が必要)

気管支炎なのか風邪なのか、酷い咳が出てとても疲れていることもあって、
宿題に持たされた(気が滅入るような)性格テストをやる気にもなれず、
予約を取り直すのに、半月以上かかってしまった。

行きたい所ではないのだ。
受付の人は親切で、感じが良かったが、

インターネットで私が見つけたクリニックで、私が選んだ医師ではあるが、
情報は必要十分だったとはいえず、他に選択肢がないから行ってみただけ。

院長さん(医師)は、インターネット上でコラムを書いていたり、
ホリスティック医学の情報誌に記事が載っていたり、
その世界では長年の実績があるらしいけれども、私は好きで行った訳じゃない。

私は認める。
その場所(クリニック)において、
(医師に対して)良い人間関係を構築する気力と意欲が萎えていたことを。

でも、それは仕方が無いともいえる。
ずっと休めておらず(気が休まらない状態が長い)ヘトヘトなのだから。
自分を休ませることも出来ないほど、混乱して焦っていて、
治療を必要とする状況にあったのだから。

そんな私に対して、医師が何をしたかというと、
検査と事情聴取。

自然の生き物の声や姿に感動することがたまにあり、
それだけが生きてる手応えみたいな話をしたら、

『そういうのは大切にした方がいい』との言葉を頂戴した。
それが、初診のときの 唯一のアドバイスらしいものだった。
私は不愉快極まりなかった。

「それだけが生きてる手応えのようなもの」だと私は言った。
他に代わるものなど何も無い私だった。

それが今の私の、心の糧を得る殆ど唯一の方法で、
大切にするも何も、それしかないと言ったのだ私は。

たとえば死ぬほど悩んでいる人間が、
「水を飲むのが好きで、それは唯一の良い習慣だと思う」
と言ったのに対して医師が、
『それは良いことですね、続けて下さい』と言うのは、
ただの肯定、良ければ勇気づけになるかもしれませんが。

私の言葉の裏には、
(人間以外の生き物にしか、心が許せない)という苦悩があった。

唯一の助言(私を肯定する言葉)が、
その苦悩を大切にしろ?

(そんなことしか言うことがないの?)
私が 内心そのように思ってしまったのも、仕方がないだろう。
疲れの余り全く余裕が無くなったから、私はクリニックに行ったのだ。

その場の主導権を握っていたのは医師だ。
疲れ果てて判断力が著しく低下している人間に対して、
その狂気に決して惑わされず、振りまわされず、
その人間の本質(健全な思考回路)を見抜き、引き出すのが仕事の人だ。

良い人間関係を築けなかった責任の4割は 私にあるかもしれないが、
6割くらいの責任は、医師にあるだろう。

心を重視する治療の場なのに、
悩み苦しんでいる人間の言葉の表だけを評価して、問題に気づかず、
クライアントが凹むような助言をしたのだから。

そんな所には もう行きたくないと私が思っても、仕方がないだろう。
でも、治療には様々なメニューがあり、気持ちが良さそうなのもあった。

勇気を鼓舞して再びクリニックに予約を入れて、行ってきた。
しかし パンフレットに列挙されている鍼などの治療は、受けられなかった。
(全部 保険外とのことで、医師は私に『そこは見ないように』と言った)

だったら、貧乏人用のパンフレットも別に作って置いたらどう?
期待だけ持たされて、ガッカリさせられる人間の心はどうでもいいのか?

性格テストの結果は、
『グラフが平なので、元気が無いことが分かります』だそう。
それだけ?
労多く、得るところ無しという感じ。

15分程度の診察というか、問診というか、事情聴取では、
「道端の危険な外来植物(アメリカ鬼アザミ)を、重武装して刈り取った」
ことを話し、
「そんな屋外活動は危険を冒してでも遣るのに、家事が苦痛な自分」
に、困惑し困っていると、私は言った。

『良いじゃない』と、医師は言った。
『腕の良い医者で、部屋が雑然としてて平気な人など珍しくもない』
『部屋が整理整頓されているからって、それが何?』
『価値のあることが出来れば、それで良いのだから』
『有害植物の駆除ね、ふーん』
『良いじゃない』

好ましからざる思考回路に陥って、
劣悪な環境に適応しようとするかのような、体質というか癖というか、
それがあることを自覚していても、脱却できないでいるとボヤいたら、

『それは価値がないことだから止めれば良いことでしょう』
『徐々に止めていけば良い』と、医師は断定した。

私は違和感を覚えた。


家の軒下に生える草の何割かが、
うどんこ病や 縮れて奇形になっている。

その原因は、
土の中に埋められていた(前の住人が投棄した)乾電池などのゴミや、
昔、大家さんが散布していた除草剤の影響のような気がする。

不自然な金属や薬剤の影響を無毒化するために、
解毒するため浄化のために、草が命を懸けて病を引き受けている。
そのように私には見える。


自分の病については分からない。
自分が軒下の草のように 健気な愛にいきている生物とは、全然 思えない。
だから、自分の場合は当てはまらないと思うけど、

人類全体の何かを浄化するために、病を引き受けている人も、
存在するかもしれないと私は思っている。

病んでいること
=価値がない
=消していけば良い?

健康でありたいとは思うが、
価値のある無しで、捨てるか否かを決めることには、
私のトラウマが過剰反応する。


親にとって価値がないからという理由で、殺されかけた自分。
黙って殺されておけば どんなに楽だったろう。
全然、逆らうつもりが心に無かったのに、
何故か抵抗して、心にもない謝罪の言葉を繰り返して生き延びた。

心を捨てて、
価値がない(親の期待に応えられない)にもかかわらず、
死(排除されること)は拒否した。

それが私の罪悪感に繋がっているのだが、それだけではなく、
「価値があるとか無いとかを、他者に決められてたまるか!」
(たとえ相手が 権威者だろうが 医師だろうが)
と、強く思うようになった気がする。


これ以上、心が かたくなになったら、治るものも治らないだろう。
月に1度は通院するのが目安と言われたので、来月も予約を入れたけど、
他の選択肢が現われることを、切に希望する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

エゴスキュー

たまに肩に激痛が走ったり、
脚の付け根の関節が痛んで呻き声が出そうになったりするのを
何とかしたかった。

私は右側の肩が下がっていて、
それは子どものときにランドセルを使わなかったからと思っていたが、

よくよく考えてみれば、
バランスのとれた人物だったら、

行きは右手で、帰りは左手、というように
手提げを持つ手が 片方に偏らないようにしていただろう。

私の右肩は下がるべくして下がったらしい。
(自分の性格が、肩の下がり方や 歩き方に出てしまうことは 最近知った)
(自分がどう歩いているのか? それは 結局、自分じゃ分からないのだが)
腰椎と歩き方に出る性格


歪みと痛みを 取り除き、快適に生きられたら良いと常々思っていた。
エゴスキューなる体操があると 最近 知り、2千円の体験会に行ってみた。

1時間は あっという間で、教わった体操は どれもシンプルな動き。
シンプルだけど、途中までしか出来ない体操もあった(トホホ)
教わった立ち方と体操

手の指を独特の形に保ち、基本の立ち方をして腕をまわすことで、
足の筋肉の膜にも刺激が伝わるそうで、
筋肉がバランスよく働くことを思い出すらしい。

水をたくさん飲むこととを アドバイスされた。
そして、私の大好物が ブロッコリーだという話をしたら、
ブロッコリー・スプラウトも 加えて食べると良いと言われた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ホリスティック・クリニック

初診 4月16日  月曜日
ひとかけらも期待していなかった。

予約時間が わずか20分だったのと、
ドクターの写真から愛が溢れている感じがうかがえず、期待が持てなかった上、
インターネットの評判を見たら 賛否両論あって、安心できる感じじゃなかった。

何より こじれにこじれていた。
(私の心が)

警備員を辞めた後、裁判所からの呼び出しに応じられず、
出廷を免除してもらう為には、PTSDの診断書が必要と弁護士に言われ、
片道1時間の駅前にあるクリニックで、診断書は書いてもらえたが、

そこのドクター2人に言われたことが、
「自分には この病気の治療のスキルがなく、紹介できる医師もいない」
「当クリニックの優秀な臨床心理士のカウンセリングが、最善と思います」

だから 約2年間、治療らしきことはできず、
1~2ヵ月に1度、カウンセラーと面談だけをしてきた。
(経済的にも それが限界だった)

心の混沌を 吐き出せる機会は、
貴重ではあったが、

好奇心旺盛な質で、インプットされる情報が 容量オーバー気味な私にとって、
4週間~8週間に1回(50分)の面接では、焼け石に水という感じだった。

治療が必要なのに、治療はせず、カウンセリングだけで2年…
いくら優秀な先生(カウンセラー)と、従順な(?)クライアントであっても、
心の整理整頓には追い付かなかった。
(3年前より 生活の質も、体力・気力も低下した)
(毎日20分、官足法の足もみを実践しているのに、足裏はタコだらけ!)

兎に角、少しでも治療に向かわねば、腐ってゆくだけだと思い、
ホリスティックのクリニックを見つけて、予約した。

前世なるものを肯定する、オカルトめいた ホリスティック医学には、
出来れば 近づきたくなかったが、

(通院のみで、保険診療で)PTSD の治療を 引き受けてくれる病院が、
他には見つからなかったので、背に腹は代えられない。

初診(面談)は確かに 20分と 短かかったが、
物凄いボリュームの テスト(細かい字で びっしり4ページ)が 課せられた。
答えに窮する問いも多くて 疲れた。

ゴールデンウイークが近いので、次回の予約は連休を避けてと言われ、
9日後になった。
宿題みたいな問診票を持たされて帰宅。
これもまた、細かい字で びっしりと印刷されている。

風邪気味だったのが、昨日から本格的に気管支がやられて めまいもひどい。
(病院に行く前より ボロボロになってる)

『焦らずに』と ドクターに言われ、
「はい」と言った 私だが、内心では「ムッ」としていた。

焦っても無駄だと、理性では分かっている。
だから反論しなかった。
ドクターの立場も慮った。

いちばん辛い自分の心を、ここでも犠牲にした訳だ。
蓋をして、押し殺した。

良いのか これで?
(風邪で ボーーとしてて、ムッとした気分も 軽目だったから、ま いいか?)
(こういうことが、1度で済めば 良いけどね)

宿題は、出来ないかもしれない…