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ナミダカラ・ホシダカラ

異榻同夢(いとうどうむ)の友よ / 2015年4月11日~

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やさしかったという祖母の名を

いつかの正月 夜勤明け、先輩に智恵を借りたくて、
時間を戴くかわりに、朝食代を出したことがある。

最寄り駅近くの店は、まだ開いてなくて、
先輩の帰路にある大きな駅まで、電車に乗って行った。

夜勤明けのことだから、眠くてボンヤリしていた。
もっと意識が鮮明なときに話したらどうだ? と云いたいところだが、
余裕がなかった。経済的にも時間的にも。

飲食店に着く前に、アドバイスはもらえたので、
店内では、雑談になった。

そんなに親しい訳でもない人を、誘い出したのがまずかったかもしれない。
職場の話は避けたい私だったが、先輩は『共通の話題』と思われたのだろう、
勤め先の話が出た。

『本業で もっと成果を上げて、早く退かないと』
『本当に あの会社で働きたい人が、入って来られない』
そう言われたのが印象的だった。それは良いのだが、…

『H1さんはこわい、H2さんは優しい』と、
H2氏の優しさについて 熱弁をふるわれたときには、内心 苦笑した。
(今日のスポンサーは 私なのに、ここにいない男を褒めるってどうよ?)
(ああそうか、私は生物学的には男ではないから、腐る必要はないのか?)

H2氏が優しい上司なら、なぜ 夜勤の初日に、私は仮眠できなかったの?
(仮眠室のシステムについて、私が現場で聞けなかったからだ)
H2氏や パートの先輩方に対しては、
『足を引っ張ってはいけない、質問などしないように』と、部長に釘を刺されていた。
(初日の責任者が、たまたまH2さんだった)
私の仮眠が潰れたのは、部長の助言を真に受けた、私の心身の萎縮・過緊張が原因。
H2氏は 免責か。
(時間帯責任者とはいえ、パートタイマーの寝場所の管理責任までは問われまい)
 
部長が『気を遣え、質問などするな』と言ってたもう1人の上司Sさん。
私が退職した今年の春頃は、Sさんも普通に親切に接してくれてたけれど、
最初の頃 私はSさんに、よく冷笑されていた。

パートの先輩の中にも、
『Sさんには、何も訊けない』と、ぼやく人がいた頃のこと。
派遣社員の人に、H2さんが
『Sさんに聞けば、優しく教えてくれるから』と、説明していた。

(えーーーーー!?)
驚きのあまり、腰が抜けるかと思った。

(Sさんが優しい?)
(優しい人が、萎縮してる人間(私)を冷笑する?)
(Sさんも、H2さんには優しいのか)
(ああそうか、誰にでも優しさはあるのだろう。それを向ける対象が違うだけで)

…………………………………………………………………………………………………………

昨日、19時 少し前、
郵便局の夜間窓口から妹へ、「開運」と冠する本を送った。

差出人の名前の欄には、父方の祖母(70年くらい前に没)の名を記した。
祖母が生きていたなら、父や妹のために力を貸してくれたに違いないから。

私は、胸のことで妹に吐かれた毒舌を思い出してから、立ち直れない。
この春まで、忘れていた自分にも びっくり。
あんな暴言、笑って許すことなど出来ない。

言った本人は忘れているだろう。
だから謝罪なんて、期待するだけ無駄だろうが、
妹の不運は、姉の呪い(怒り)が 原因だったのかもしれないね。

あれを無かったことには、私はできない。
あんな暴言を、また吐くかもしれない(幼い)人とは、
たとえ姉妹でも、距離を置かざるを得ない。
だから、祖母の名を借りた。

甘えながら、相手の心を踏みにじったりしないように。
人を大切にすることの意義が、やさしく書かれた本だよ。
 
 
 
  
  
  
  
 
 

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伐倒

10月13日 火曜日、夕方のこと
郵便局に向かう途中で、アパートを振り返ったら、
2メートル以上に育っていた、栃ノ木(?)が見えない。

戻って確認したら、隣の軒下に茂っていた雑草や、ケヤキも切り倒されており、
栃ノ木(?)は、半分に切断され、根を張っていたプランターごと、横倒しになっていた。

晴れていて静かな日だった。
竜巻が通っていった……訳では ないと思う。おそらくは管理人さんが、
『通路にあっては ならない障害物』と判断し、切って行かれたのだろう。

直径12センチ程の ポットに収まっている間に、…
高さ30センチ程度の「ポット苗」でいるうちに、…
落葉樹が好きな 山に住む知人に、託そうと思っていたのだけど、
気がついたときには、もう 私の背丈を超えてしまっていた。
樹齢5~6年か?
私には 余裕がなかったのだ。許せ。

照葉樹(鳩森八幡神社などで拾ったドングリ)の苗を残そうとしていた頃、
プランターの中から、自然に芽を出した奴だった。
(豪雪地帯でもないのに、落葉樹なんて、邪魔だ)と、私は困惑した。

とりあえず ビニールポットに移植し、水やりできなくても 枯死しないよう、
土が たくさん盛ってあった プランターの上に載せ、
直射日光の当たらない ブロック塀の裏(通路の端)に置いた。

水なんて、1度もやらなかった気がする。勝手にすくすく育った。
根元は、私の腕くらいの太さになってた。
2年や3年では こうはなるまい。

春に芽吹く 新芽は、
産毛が 白く光って 美しく、触ると ふかふかだった。
こんなに優しいものが、この世にあるのか? てくらい やわらかかった。 
伸びて 天窓に映るようになった姿は いつも揺れていて、私を和ませた。 
 

 
切られた木の、樹冠だったらしいところに、1粒だけ
種子らしいものが出来ていた。
 
とんがったドングリで、ハカマがついていた。
「栃ノ木じゃなか!」ったのね。
コナラ……だった?
  
この木には、生命があった。
私より健やかに、喜怒哀楽を感じる魂も あったのじゃないか?
 
 
 
  
  
  

透き通ったキミドリ色の羽根のある虫になった夢

その後いかがですか?
>  
> yoo様
> 
先日はセッションに来てくださりありがとうございました。
その後、いかがですか?
> 
また、ご様子お聞かせください。

………………………………………………………………………………………………………

ありがとうございます。

Ⅰ)宿題(4点を触る)が、難しい上に苦痛。
  コツが分かってないのかも。
  次回、度復習したいので、よろしくお願いします。

Ⅱ)先生が鮫を例に出したのが、面白かったです。
  私は昔、好きだった先輩から『従兄弟との交際』を薦められたとき、
  「自分は鮫のような女で危険だから」と言って、断わっています。

  昔 読んだ『世話係にじゃれついて、その腕を食いちぎった鮫』の話が、
  甘えながら相手を傷つける『虐待』者の世界を連想させ、印象に残ってたのです。
  リアルな サメの髪留めを買ったこともありました。(すぐに壊れちゃいましたが)

Ⅲ)昔 同級生が、私の行きたかった海洋学部に進学したのが、うらやましかった。
  でも、そのころ 私の1番の希望は、人生双六の上がり(死)だったから、
  悔しさも うらやましさも、うっすら ボンヤリしたものだった。
  
  双親は、昔 勉強したかったのに貧しくて、普通高校に進学できず、
  自分より成績が劣る友人たちが進学したことを、もの凄く悔しがっていた。
  だから、子どもらを高校に行かせたことを、えらい功績みたいに思ってる様子。
  『その一事を以て、子供からは、永遠に感謝されて然るべき』と言いたげ。

Ⅳ)私の戸籍上の名は、記憶の中で、枕詞に『バカ』がつく。
  戸籍上の名の意味は「素直であること」で、素直は本来 美徳だけど、
  現実には、素直だったら私は、10代のはじめに死んでいた。
  そこらへんが、理解できない、得心できないままです。

Ⅴ)鮫に襲われる人が まれにいるからと云って、海水浴=鮫が来る とは 限らない。
  おっしゃる通りです。
  
  ただ私は、その例で云うと、鮫に食われかけた当事者です。
  しかも、その後、因幡の白兎のような目に(傷口に塩を塗るような痛い目に)
  数え切れないほど遭ってます。

  過去に こだわってたら 前進できないから、被害者意識は持たぬようにして、
  『また傷つけられるのじゃないか』などとは 考えぬようにして、
  まっらさな気持ちで、臨み続けてきたにも関わらず です。

  私は、信じたい。
  もう真っ黒にしか見えない オセロゲームの盤上が、白の勝ちになる奇跡を!

  だけど 私には、鮫より怖いものもある。
  皮を剥がれた兎を笑う『人の形をした無自覚な悪意の体現者』が怖い。
  私を蹂躙した奴等のことは思い出したくもないけど、
  その後、最低な対応をした弁護士や医師や警察官の方が、私にとっては
  加害者以上に おぞましいし こわいし 憎いです。
  そう云う記憶が、私には多すぎます。

Ⅵ)セッションの帰り、自分が クサカゲロウになった気がしました。
  ヤモリにひと呑みされて終わる、儚い生き物。
  私はヤモリが大好きだから、餌になって果ててもいいと思った?

Ⅶ)セッション翌日、痰が詰まり、窒息するかもと云う恐怖を味わいました。
  そんな中、電話してきた無神経なケースワーカーを怒鳴ってしまった。

  「あの担当者の無神経な声を聞くだけで、もう死にたくなる」と、
  担当者の上司や、他のケースワーカーに、何度も相談したにもかかわらず、
  その上司らは、私を苦しめる選択を、一向に止めようとしなかった。
  長年 私が希死念慮にとらわれ、苦しんできたことは、
  半年前から言い続けてきた。でも、彼等は無神経にも、
  私を追い詰めることを繰り返してきた。だから私は悪くない!
  怒鳴るなんて、無様なことをしたのは、そのように追い込まれたからで、
  私の責任じゃない! (泣)
 
Ⅷ)昨日、右足の親指にタブレットPCを落としました。
  かなり痛かったし、内出血して腫れ上がりましたが、骨は大丈夫そうです。
  こじらせた気管支炎のためか、ときどき痰が絡み、
  窒息死するかもと云う スリルを味わいつつ、
  「悪いことがしたいんだよ!」と、体に悪いものを パクついたりしています。
  困ったものです。

Ⅸ)先月、木洩れ日を写真にとったときに、空を泳いでた 赤いオーブ
  (鬼怒川の決壊 数日前)
  あれって、私の躰から逃げ出したココロ? などと 思ったりしてます。
   
  
  
  
  
  
  
   

甲斐なきことと知りながら

2009年12月1日(命の日)に開設した 、(背景が海の)ブログには、
テンプレート(借りた器)に カウンターがついていた。
今 見たら 8877 と、表示されてた。

チラシ 2000枚 配って、契約1件 取れれば 御の字と言われた。(保険屋時代)
名刺 1000枚 配ったとしても、大切にされるのは、1枚 あるか? ないか?
チラシも 名刺も、ゴミを増やす遊びだったのかも。(紙の無駄遣い?)

この(星 見上げる背景の)ブログは、(今は 嫌いな)妹の幸せを 祈るためのもの。
読者、…いなくてよい。
虚しいが、仕方ない。

大嫌いな相手でも、大切にしたいと云う願いを 形にしたら、
こう云う ブログになった。

昨日もらった名刺の名前(ファーストネーム)
ミノルさん…だった。(妹の名を連想させる)
そんな些末なことを吐き出すために、この(星の)ブログはある。


某サイトの読者に そそのかされて始めた(海の)ブログの過疎化も、 仕方がない。
余力のない人間が、単独で品質を維持・管理するのは至難の業なのだから。

寺院サイトの掲示板の 私のスレッドに、
日記を書く人が出たり、読者同士が会話したり、…
そんなことが 長く続いてしまい、『独立しろ』 と 勧める人がいた。
協力するからと。(それは、精神を病んだ人の嘘だったと、後で分かった)

のどかで、気軽で、便利な掲示板だった。
自殺予告があって、警察(生活安全課)に 駆け込んだり、冷や汗もかいたけど。

自殺防止サイトだったが、管理人の真の狙いは、水子供養の顧客の獲得だった。
だから、回答の責任者はおらず、善意の素人が 一所懸命 返事を書き込む一方で、
カウンセラー・モドキが、独特の世界観を披露して 得意がっていたり、
悩む人間を ゲームの駒と見なして、叩きのめすような、狂った連中も 跋扈していた。

その頃から、私の睡眠時間は 極端に短くなった。
7つくらいのハンドルネーム(人格)を 使い分ける 回答者になったから。
 
その掲示板の 最新ページに表示されるトピック(返事待ちの投稿)は30件あった。
(そのうちの 1件は、私のだったが)
深刻で複雑な 投稿であれば あるほど、まともな回答が ついていなかった。

私は、炎上したスレッドを 鎮火せずに いられなかったし、
悩み深い(攻撃的だったり、難解だったりする)投稿者を、無視できなかった。

そんなことが1年以上続き、さすがに疲れた。
討論の掲示板では、『Sさん、Bさん、Kさんへ』 と 投稿した人が 槍玉に挙がった。

『あなた方は何故、蛹さんに回答してあげないのですか?』
『他の人には丁寧な回答をしてるのに、なぜ蛹さんだけ避けているのですか?』
『1番苦しんでいる蛹さんを、たすけて上げて下さい』

Sも、Bも、Kも、書き込んでいたのは 私(蛹)だった。
応えようがなかった。討論する余裕など、私には なかったし、

悩める人(私 以外の)を見守る、誰かの心を、私は察して、
言葉に編んでた…だけ だった。
 
それで、無料の掲示板(自分で管理する1案件だけの)に 引っ越したが、
そのサービスは、数ヵ月後に終了となり、掲示板も消えてしまった。
 
あわてて ブログを 開設したけど、PHS しか 持っていない 私にとって
それは、不便きわまる代物で、気楽に書けるものでは もうなかった。

5年以上 書いてきて(月に1度の ときも あるが)、訪問者が 8千8百と 77人。
日数で割れば、ほぼ ゼロに近い数。…

電脳空間の プライベート・ビーチ だもの
アフィリエイト(ブログ主が 儲かる広告)が、一切ないのが 誇り(?)だった。
 
 
 
 
 
 

死にたい気分にさせる プロフェッショナル

ケースワーカや 民生委員は、
(平成27年の、日本の都下(某市)に 於いては)
地区の担当者は、1名と決まっている。
その人物が、無神経 極まりない 若造や、説教おばば だとしても、
弱った者が「別の人と話したい」 と 願い出ても、それは許されない。
それも、自殺者の高止まりの遠因のひとつだと、私は にらんでる。

私の脳の疲労は、重症らしい。
「命日」と「誕生日」、
全然 意味が違う言葉を、混同して使ったり、

「41 掛ける 2 マイナス 5 は?」 と云った 単純な暗算に、
時間がかかってしまったり、

3年くらい前に割られた、窓ガラスの修理の手配が、
ずっと出来ないままだったり。

生活の質が著しく低下しているのを、何とかしたくて、
ケースワーカーの力を借りたかったが、
私の担当さんは、声だけで、私を死にたい気分にさせてくれる。
生活の質を、(前にも増して)下げる方向に導いてくれる。
なるべく避けるのが、当然だろう。

暗算が遅くても、生きていける。
玄米を計量中に、3合目か 4合目か、分からなくなってしまっても、
1から遣り直せば、問題ない。

1人暮らしだから、ゆっくりとしか 動けなくても、『遅い』 と 怒鳴られたりしない。
女としての価値がどうとか、決めつけられたり 裁かれることも無い。……

いのちを譲ってくれる 米つぶ達と、我を忘れて戯れつつ、
炊飯のしたく(発芽可能な状態まで浸水させること)ができる。有り難いことだ。

言葉の遣い方は、適切にしたい。
他者との意思疎通をはかり、信頼関係を築く道具だから、言葉は。

…休めれば、
…充分な睡眠を 与えられれば、
…話したい相手が、声の届く範囲にいるなら、
…狂気にも、歯止めがかかるかもしれない?

(自殺防止に始めた)ブログの古い記事が、ネットを漂流しているのを、最近見た。
自分で書いたのに、すっかり忘れていた。
妹に罵られた悔しさを、綴っていた。
妹は言った『胸のデカい女は、誰にでもヤラせて、男に媚びを売るんだろ!』 と。

まったくの 八ッ当たりだった。
ダンサー体型に 憧れながら、
バレエの先生( I・K先生)に、『のしイカ』 と形容された ズングリムックリ。
胸だけ特大サイズで、苦労が絶えなかった私に、
(スモールサイズなことを 劣等感に感じてた)妹が、浴びせた暴言。

傷ついたと、葉書で彼女に書き送った。
返事はなかった、謝罪の電話もなかった。
5年くらい前?
…最近、忘れてて、平気だった。
…思い出すと、吐き気がする。
 
自己評価が低すぎて、夢も春も売れない。そんな私を、
自分では どうにもならない『体型』 で侮辱した。

勝手に自己憐憫に陥って、100% 被害者みたいに、
えげつない言葉で 人の心をえぐって、謝りもしない奴だった。
(親が甘やかしたのだ、致し方あるまい)

私が 彼女の幸福(無限大)を祈ったのは、ただ、
彼女に、逆恨みされたくなかっただけ(自分のため)。